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田中角栄「怒涛の戦後史」(7)最強の「秘書軍団」(下)

2019/8/26 06:00 週刊実話

 新潟と東京の秘書団が、国会議員史上比類なき最強の後援組織「越山会」を中心にして、田中角栄の鉄壁の選挙体制を守る一方、中央政界における田中の権力抗争などでは「木曜クラブ秘書会」が、連戦連勝を支えていた。

 木曜クラブとは“親会”である田中派の名称で、衆参の田中派議員の公設、私設秘書たちが集まり、その“子会”として「木曜クラブ秘書会」を名乗っていた。最盛期の田中派議員の数はじつに141人、秘書会は400人ほどの勢力を擁していた。

 常に足並みを乱すことのない結束力と行動力は、まさに“軍隊なみ”のそれとされ、田中派「秘書軍団」として他派に恐れられたのである。

 まず、その団結力と行動力の秘密である。筆者は田中派の取材が長かったこともあり、秘書会幹部らとの面識もだいぶあった。田中の退陣後も含めて、以下のようないくつかの証言を聞いている。

 「議員が選挙で落ちたら、一般的に秘書はみじめなものです。失業して食えなくなる者も出る。ところが、田中派は違う。他の先生、あるいは新人議員のところで面倒をみてくれるシステムになっていた。田中(角栄)先生の考え方が、派内に浸透していたということです。こうした完璧な形は他派ではあり得ない。『田中先生とは死ぬまで一緒』『先生のためなら矢でも鉄砲玉にでもなれる』と口にする秘書が、山ほどいたのも当然でしょう」

 「わが秘書を信用していない議員は、じつは少なくない。とくに、私設秘書は厳しい目で見られがちです。しかし、田中派は違っていた。万一、田中派木曜クラブの総会に議員が出られない場合は、公私にかかわらず秘書が代理で出ていた。かなり重要な総会でもです。他派では、まずあり得ないことで、田中先生、議員、秘書、それぞれが信頼関係で結ばれていました」

 「陳情でも、うちの議員で処理できないとなれば、田中派の他の先生のところへ回してもらうことができた。なにしろ、田中派は『総合病院』と言われたくらい、田中先生の下にそれぞれの役所に精通している先生が、たくさんいらっしゃる。処理できないものはないんです。他派の秘書が処理できずにいるときなどは、われわれが紹介してやることもありましたね。うらやましがる他派の秘書が、多くいました」

 「まあ、田中派は秘書たちも含め、『互助会』と言ってもよかった。これが成立したのは、頂点として田中先生という存在があったことにほかなりません。『角福総裁選』のとき、深夜のホテルで事務作業をやっていると、田中先生がふらりと入ってきて言うのです。『こんな時間にほんとにすまんなぁ。少ないが、これで帰りに皆で一杯やってくれ』と。

 カネの多寡じゃないんですね。あの大実力者が、私らあたりに頭を下げること自体が、普通ならあり得ないことなのです。田中先生がロッキード事件で逮捕されたとき、『自分は先生のために何ができるかをまず考えた』という秘書もいました。木曜クラブ秘書会は、田中先生への求心力がすべての、言うなら『田中民族主義』で成り立っていたのです」

 何より血を分けた集団にまで、“昇華”した組織だったということである。

★真価をみせた「大平総理誕生」

 この「田中民族主義」の真価をみせた権力闘争の場が、昭和53(1978)年の福田赳夫、大平正芳、中曽根康弘、河本敏夫の4人で争った総裁公選の予備選挙であった。予備選挙とは、国会議員の投票という“本選挙”に入る前の、自民党の党員、党友による選挙で、1、2位の得票を得た者が国会議員の本選挙に臨むということだった。

 ここで1位になれば、国会議員の投票行動に少なからず影響を及ぼすことは必至である。時に、ロッキード事件を抱えて苦境にあった田中は、「盟友」の大平を勝たせることで政界への影響力の温存誇示をうかがっていた。

 田中にとっては、もとより一歩も引けぬ予備選挙である。その意をくんだ「秘書軍団」は、すさまじい次のような選挙戦を展開したのだった。当時、のちに総理にもなる羽田孜の秘書で、秘書会の幹部でもあった山崎貴示が、こんな証言をしてくれた。

 「なんとしても大票田の東京で、大平さんを1位にしなければならない。秘書会では手分けして、自民党の都議会や区議会の議員宅を中心に、片っ端から回ってお願いをした。1人1日最低20軒というノルマで、徹底したローラー、ドブ板作戦です。予備選挙の期間中に、靴を3足履きつぶした秘書もいましたよ。なかには、『福田や中曽根支持の党員の家にでも入り込むつもりでやれ』との檄に乗って、ホントに中曽根さんの自宅まで行ってしまった“森の石松”みたいな秘書もいたのです」

 結果、予備選挙では大平が1位となり、2位になった福田は勝ち目なしと読んで、“本選挙”を辞退した。「盟友」大平総理の誕生により、田中は「闇将軍」として影響力を残すことに成功したのだった。

 どんな強力な組織のリーダーでも、1人の力はたかが知れている。ここでは周囲に支えられたリーダーがいかに強力であるかを、田中は改めて証明したと言ってよかった。
(本文中敬称略)

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【著者】=早大卒。永田町取材49年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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