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ベクトルは「未来」へ。宮城県・南三陸町在住の編集者・浅野拓也さんと巡る、宮城と福島。

2019/8/20 14:35 ソトコトオンライン

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2011年3月11日に発生した東日本大震災の被災地では今、どんなまちづくりが行われているのだろう?宮城県南三陸町でまちづくりに取り組む編集者の浅野拓也さんが、「未来」に向かって歩みつづける地域の4人のプレイヤーを訪ねました。

南三陸の今を伝える移住者・浅野拓也さん。

 宮城県・南三陸町。

 東日本大震災の発生時、防災対策庁舎の職員たちが住民に対して防災無線で最後まで避難を呼びかけながら、高さメートルを超える津波に流されてしまった凄惨な光景を多くのメディアが報じたことでも知られる町だ。住民約1万7700人のうち、死者・行方不明者は831人。現在の人口は約1万2700人と、震災前から約3割も減ってしまった。

 そんな南三陸町に、東京の広告制作会社でエディター兼ライターとして食品カタログの制作に携わっていた浅野拓也さんが移住したのは2014年のこと。「当時、被災地の第一次産業を『食べて応援しよう』という動きが盛んで、僕も福島県や宮城県の生産者を取材し、応援する記事を書いていました」と浅野さんは会社員時代を振り返る。その会社を退職した後、『食べて応援しよう』の「右腕派遣プロジェクト」に参加。派遣された南三陸で活動を開始し、今に至る。「気合を入れて移住したというより、転職に伴う引っ越しという感覚。『右腕』で担当したボランティアツーリズムの活動に加え、ライターの仕事や地域イベントの企画・運営、農業など多様な仕事を経験し、地方で暮らすための大きな収穫になりました」と話す。とかく地方の若者は、「田舎には何もない。働くところも限られる」と故郷を見切り、都会へ出ていこうとするが、浅野さんは「田舎でも多様な働き方、好きを仕事にできる可能性があるはず。僕自身がそれを実践しながら、将来の選択肢が多くあることを示していけたら」と、活動の幅を広げつつ、南三陸のまちづくりに力を注いでいる。

 今は、『南三陸研修センター』で、大学生や企業社員が南三陸を「教材」として震災の教訓や人のつながりの大切さ、自然の循環を学ぶためのコーディネーターとして未来をつくる人材を育みながら、編集者・ライターとしても町の公式メディア「南三陸なう」の連載記事「南三陸ひとめぐり」を担当し、南三陸の今を伝えている。「南三陸は小さなまち。先の東日本大震災で多くの町民が何かしらの傷を抱えたはずなのに、悲しみを心の奥に隠し、毎日を前向きに暮らしておられます。凄いです、南三陸の人たちは。全員を取材したいです」と、復興へ向けて工事が進むまちを眺めながら力強く語った。

 そんな浅野さんが「会いたい」と思う人がいるという。「震災から8年半が経とうとする今、被災地のプレイヤーがどんな活動を展開しているのか知りたくなって」と、さっそく車に乗り込み、会いに向かった。

浅野さんと地域のプレイヤーに会いに行く!どんな思いでまちづくりを続けているのか。「被災地の今」を聞きました。

気仙沼市:大学時代からの知り合い。『まるオフィス』の活動はヒントになります!

加藤拓馬さん 『まるオフィス』代表理事

加藤拓馬さん 『まるオフィス』代表理事加藤拓馬さん 『まるオフィス』代表理事

気仙沼市内に『まるオフィス』を設立した代表理事の加藤拓馬さん。漁師の担い手不足を知り、地元の中学生を対象にした漁師体験プログラムを始めたが、ある先輩の「集落コミュニティは息子の夢をあきらめさせる装置」という言葉にショックを受けた。「米屋の息子は米屋、豆腐屋の息子は豆腐屋店の後継ぎがいないと集落は生活に困る、と。集落の持続性は、息子が夢をあきらめることで成り立ってきたことに気づかされ、『将来、漁師になれよ!』と中学生を鼓舞していた自分に疑問を持ちました」。しかし、加藤さんは21世紀の集落を再定義し、夢をあきらめるのではなく、「夢を広げられる装置」になるよう地域を変えていく活動を展開する。「そのためには、中学・高校生のうちに自分の可能性が広がるような原体験をすることが大事」と教育事業に力を入れ、教育委員会とNPOと協働で気仙沼の高校生の挑戦を応援する「マイプロジェクトアワード」を開催。

『まるオフィス』主催の漁師体験の様子。『まるオフィス』主催の漁師体験の様子。

高校生の「これ、やりたい!」を地域の大人たちが半年間ほど全力で応援するのだ。「小学生の頃に津波で家を流された子が東京に行ったときに『ああ今日、3・11か』と世間話のように話すのを耳にして、東京では震災の記憶が薄まっていると落胆し、『語り部になって伝えます』と活動を始めたり、別の高校生は気仙沼を舞台にしたゲームをプログラミングしたり。そんな高校生たちを大人たちが応援すれば、地域は夢やキャリア観を広げられる装置になると思うのです。移住者が米屋を継ぐような地域に」。

失敗してもいいから、中学・高校生の時期に地元で何かアクションを起こす。「そのためにも、かっこいい大人と中学・高校生の接点を増やしていきたいです」と、加藤さんは意気込む。

Asano's VOICE
拓馬の拠点とする唐桑半島を訪れると、老若男女多くの方が、「拓馬!」と気軽に声をかけている姿に驚かされます。発災直後から地域に入り、信頼関係を築いた8年半の活動に尊敬をしています。

南三陸町:関わる人がみんなファンになる不思議な魅力がある団体です。

栗林美知子さん 『ウィメンズアイ』事務局長

栗林美知子さん 『ウィメンズアイ』事務局長栗林美知子さん 『ウィメンズアイ』事務局長

宮城県の沿岸部で支援活動を行っていた栗林美知子さんは、2013年に仲間と『ウィメンズアイ』を立ち上げ、今は南三陸町で女性支援の活動を続けている。「震災直後は、仮設住宅で暮らす住民に支援が偏りがちでした。ただ、津波に流されなかった家で暮らすのも仮設住宅と同様に大変。流されずにすんだという理由で避難所に支援物資をもらいに行くのを躊躇するという事態も起こったのです。被災の状況や支援の温度差で不用意に傷つけ合わないよう、安心できる場づくりを心がけました」と栗林さん。支援する対象は女性。「なぜなら、震災時には高齢者や乳幼児など弱者と呼ばれる人たちが危険に陥りますが、その弱者をケアしているのは女性が多い。自分のことよりも、弱い人を優先する日々のなかで女性たちが疲れてしまわないよう、気持ちの支えが必要だと感じたからです」。

事務所の黒板には、女性を応援する活動を知らせるチラシが。事務所の黒板には、女性を応援する活動を知らせるチラシが。

震災から3年が経つ頃には、まちの未来を考える機会が増えたため、中越地震の震災から年となる新潟県へ、女性人ほどで視察に向かった。そこで、「復興しても、暮らす人がいなくなれば集落の存続は難しくなる」と学び、未来をつくる若い女性が暮らしやすい地域にしなければと、若い女性に地域に必要なものをヒアリングした。その声から、『シェア加工場„パン菓子工房〝』や『小さなナリワイ塾』が生まれた。「古い慣習が残る地域なので、女性が家の外に出て好きなことをすることが憚られるときもあります。若い女性が自由に、楽しく暮らせる空気を徐々につくっていけたら」と栗林さんは話す。女性たちが焼いたパンやスイーツ、「ナリワイ塾」でつくった雑貨を地域で開催される「ひころマルシェ」で販売するなど、女性の活躍の場は少しずつ広がってきている。

Asano's VOICE
多くの支援団体が南三陸から撤退したなか、『ウィメンズアイ』は住民の声に耳を傾け、価値あるプロジェクトを行い続けています。女性が住みよいまちになるよう、今後の活動にも期待しています。

福島市:創業は1875年。5代目として眼鏡とまちをつくり続けています!

藪内義久さん 『OPICAL YABUUCHI』代表

藪内義久さん 『OPICAL YABUUCHI』代表藪内義久さん 『OPICAL YABUUCHI』代表

福島第一原子力発電所が水素爆発を起こしたとき、福島市の商店街にある眼鏡店『OPICAL YABUUCHI』を家族で営んでいた藪内義久さんは、幼い子どもと妊娠中の妻、両親と会津若松市へと避難。その後両親は地元へ戻るが、一家は北陸そして山形県へと避難した。その後藪内さんも福島市へ戻ったが、「避難」を「逃げ」と責める人も少なくなかった。藪内さんは、「いずれ福島に戻ってくる人たちに『まちが寂しくなった』と言われないためにも、店舗ビルを自力で改修し、商売を続けました」と振り返る。

上/ブランドの眼鏡と、木やサンプラチナ製のオーダーメイドの眼鏡を販売。下/雑貨も扱うおしゃれな眼鏡店。上/ブランドの眼鏡と、木やサンプラチナ製のオーダーメイドの眼鏡を販売。下/雑貨も扱うおしゃれな眼鏡店。

2014年に店を引き継いだ藪内さんはビルの空き店舗をリノベーションし、センスの合う若い経営者のテナントを誘致。屋上や庭でイベントを開き、地元の仲間と商売を復興させるプロジェクト『LIFUKU』を立ち上げ、震災前から開催していた音楽フェス『FOR座REST』の復活に協力するなど精力的にまちづくりに取り組んだ。「多額の借金をしてでも震災前より店をよくしようという思いと、僕らの世代がまちを背負うんだという覚悟で取り組めば、きっと復興できるはず」と全力疾走を続ける藪内さんに、先日、「このまちが好きです」と声をかけた若者がいた。市内の2人の女子高校生だった。通りを歩く人が好きなまちの風景を撮影し、それをまとめて本をつくるワークショップを開きたいと相談に来たのだ。「泣きそうになりました」と藪内さん。「あれだけの被害を受けたまちを『好きだ』と言ってくれるなんて。若い世代のために福島のまちをつくっていこうと決意を新たにしました」。

夢は、「商店街の空きビルを買ってリノベして、夢を持つ若い人たちに貸したい」と藪内さん。自分の夢と、若い人たちの夢が重なろうとしている。

Asano's VOICE
南三陸町と同様、福島市は最初に商人が復興に立ち上がったまち。放射能の不安があるにもかかわらず、仲間や若い世代と一緒に未来へ向かおうとする藪内さんの活動に、僕もワクワクさせられます。

福島市:食の宝庫「東北」の今を全国に発信しています。

三廻部麻衣さん 『トレジオン』PR事業部部長

三廻部麻衣さん 『トレジオン』PR事業部部長三廻部麻衣さん 『トレジオン』PR事業部部長

東北のおいしい食材を堪能できる東京・赤坂の『トレジオン』でPR事業部部長として、東北6県・227市町村、それぞれの地域の魅力を発信している三廻部麻衣さん。3年前に移住した福島市を拠点に、東北の各自治体や、企業、生産者等と共に『トレジオン』でのイベントを企画・運営している。「6月には、岩手・県洋野町が主催する『ウニまつり』を開催しました。ウニの事業者など地元の方に直接話を聞き、町の特産物を使った料理を楽しく味わい、交流することで、首都圏の方々に洋野のファンになってもらおうというイベントです„。赤坂にある東北の港町〝として、現地に足を運ぶきっかけとなる場を提供したいと思っています」。

上/牧場で佐々木さん(左)に乳牛について尋ねる三廻部さん(右)。下/『トレジオン』の店舗紹介とイベントのチラシ。上/牧場で佐々木さん(左)に乳牛について尋ねる三廻部さん(右)。下/『トレジオン』の店舗紹介とイベントのチラシ。

さらに、三廻部さんは『トレジオン』での業務だけでなく、福島でもさまざまな活動を行っている。福島市内にある『ささき牧場』の代表・佐々木光洋さんが2年前から主宰しているトークイベント『十三夜講』では、当日の構成や進行を初回から担当。「私の活動を綴ったSNSの投稿を佐々木さんが見つけてくださったことがきっかけでした。地元で活躍するユニークなゲストの方々と出会える、素敵な学びの機会をいただいています」と笑顔で話す。そして、「福島で暮らす中で『8年ぶりに◯◯が再開されました』というニュースを耳にするなど、日々たしかな変化を感じています。『ささき牧場』でも今年、チーズ工房が新設される予定。これからも、日常の中で『東北』を身近に感じ、楽しみながらファンになってもらえるよう、グラデーション豊かに、ていねいに発信していきたいと思います。そこに住んでいなくても、できることはたくさんあります。一緒に、東北の未来を、風土を、つくっていきませんか」と呼びかけた。

Asano's VOICE
三廻部さんが話すように、東北の農家や漁師は自発的に行動しています。南三陸のカキ漁師も国際認証ASCを取得し、環境に配慮したカキをつくっています。そういう変化を応援したいです。

Interview Takuya Asano

南三陸に来てください。伝えたい「なぜ」が、8年半が経ったこのまちには山ほどありますから。

編集者、そして『南三陸研修センター』の研修コーディネーターとして、震災後の南三陸町を見てきた浅野さんが今、若い人たちに伝えたいことは?

『志のや』の銀鮭炙り丼も、南三陸を伝えるメディア。

4人のプレイヤーと話すなかで、各々のまちづくりの活動のベクトルが違うことに気づかされました。加藤さんは中学・高校生を対象に地域の「内」にベクトルを向けた活動を行っています。栗林さんも地域の女性を対象にしているので「内」です。藪内さんと三廻部さんは「内」と「外」の両方に向いています。僕は、研修コーディネーターとしては都会から大学生や企業社員を南三陸へ迎えるので「外」、編集者としては南三陸の素敵な人を町内と同時に全国にも発信しているので「内」と「外」の両方を向いています。„四人四様〝、各々のベクトルが「内」や「外」に向きつつも、根本のところでベクトルが「未来」に向いていることにとても勇気づけられました。

学生時代、ジャーナリズムに関心を持っていた僕は、NGOが主催するワークキャンプに参加し、アフリカのウガンダへ向かいました。日本人とウガンダ人が3週間、寝食を共にしながらエイズ孤児をサポートするという活動です。エイズ孤児は「かわいそうな子ども」というイメージを抱いて現地に入った僕でしたが、たくましく、明るく、夢を語りながら毎日を過ごしている子どもたちの姿を目にし、そのイメージは音を立てて崩れていきました。

ウガンダの子どもたちが見せてくれた「Positive Living」の生き様は、南三陸の人たちの姿と重なりました。今回の取材中に昼食をとった『志のや』の親方・高橋修さんも言います。「いつまでも『被災地、被災地』と言われると下を向いてしまうから、被災地というのを抜きにして考えるようにしている」と。高橋さんは、津波で流された家のなかで溺れ、天井まで数センチしかない空気の層に口を出して必死で息を継いでいましたが、『ここで死ぬのか』とあきらめかけた瞬間、家が何かにぶつかって天井が割れ、そこから屋根に這い上がって一命を取り留めた方です。

2017年に店を再建させた『志のや』の高橋さん(右)。浅野さんと談笑する。2017年に店を再建させた『志のや』の高橋さん(右)。浅野さんと談笑する。

「今、南三陸は転換期にある。借金をして家を建てたが、仕事がないと返せない。工事の作業員も減り、一時期より観光客も減り、メディアも報じなくなった。今が、頑張りどき」と、新たに考案した銀鮭炙り丼を出してくれました。この丼は南三陸を伝える一つの„メディア〝です。新メニューに懸ける親方の思いを、現地で食べて感じてみてください。

『志のや』の7月までの限定メニュー、銀鮭炙り丼。半分はそのまま、半分はつゆをかけて。うまい! 四季によって変わる「キラキラ丼」も人気。『志のや』の7月までの限定メニュー、銀鮭炙り丼。半分はそのまま、半分はつゆをかけて。うまい! 四季によって変わる「キラキラ丼」も人気。

同じ意味で、僕がコーディネーターを務める『南三陸研修センター』の研修プログラムもメディアと言えます。現地で体験することで、得られるものがきっとあるはず。南三陸の現状の課題が、都会から研修に来られる若い人たちの生き方のヒントになるかもしれない一方で、南三陸の課題解決のためのヒントを若い人たちから与えてもらえるかもしれません。そんなふうに都会と南三陸が交わることで、互いが豊かな未来に向かえると信じ、活動を続けています。

『南三陸研修センター』が運営する宿泊研修施設『南三陸まなびの里いりやど』。南三陸杉がふんだんに使われている。一般客も泊まれる。『南三陸研修センター』が運営する宿泊研修施設『南三陸まなびの里いりやど』。南三陸杉がふんだんに使われている。一般客も泊まれる。

地域課題の解決のために、伝えたいのは、「なぜ」。

宮城県、福島県、岩手県の被災3県で今、行われているまちづくりは、ある種の「社会実験」でもあると僕は捉えています。人口減少、高齢化、担い手不足、産業の衰退......。それまで潜在していた地域課題が震災によって年早く表面化したと言われていますが、それらは近い将来、日本のどの都市、どの地域でも向き合うことになる課題。被災3県は有無を言わさず、全国に先んじて向き合わされることになったのです。

課題解決への道のりは、先例のないものですから、地域のプレイヤーたちは手探りで実験的にプロジェクトに取り組んでいます。うまく歩み続け、課題解決の糸口をつかみ、新たな取り組みの芽を生むプロジェクトもあれば、立ち往生してしまったプロジェクトもあります。『南三陸研修センター』の研修プログラムでは、試行錯誤しながら歩み続ける地域のプロジェクトを、県外から訪れる大学生や企業社員に、やがて向き合う課題を解決するための「予習」として学んでもらっています。

左/研修プログラムは大学や企業と相談しながら浅野さんが組み立てる。右/やさしく迎えてくれた理事の阿部忠義さん(左)とスタッフの安藤仁美さん(中)。左/研修プログラムは大学や企業と相談しながら浅野さんが組み立てる。右/やさしく迎えてくれた理事の阿部忠義さん(左)とスタッフの安藤仁美さん(中)。

学びを提供するときに大事にしていることがあります。南三陸のプレイヤーや住民が課題解決のために「何を」しているかということよりも、「なぜ」それを行っているかを理解してもらうこと。「なぜ」を重視すれば、南三陸と自分の地域を比較する力が身につくからです。『ウィメンズアイ』がシェアするパン菓子工房を立ち上げた話を栗林さんから聞きましたが、その設立ノウハウを知っても意味はありません。なぜパン菓子工房が立ち上げられたのか、地域の背景とともに理解してこそ自分の地域に応用できるのです。成功例を真似するのではなく、自分の地域の人たちの声に耳を傾け、地域性を生かしながら独自のプロジェクトを立ち上げることが、課題解決への道を開きます。防災に関しても同じです。マニュアルだけに頼らず、自分で判断する力を養ってほしいです。

南三陸の課題解決はヒントであって、答えではありません。想像もつかない津波の被害によって大きな傷を負った人たちが、なぜ震災からわずかか月後に、瓦礫の中で「福興市」を開いたのか。そんな「なぜ」を普通の人が語ってくれる南三陸に来てほしいです。伝えたい「なぜ」が、このまちには山ほどありますから。

災害に対して、普段から備えていること、心がけていることは?

浅野 拓也さん 『南三陸研修センター』企画広報。研修グループリーダー
中越地震、東日本大震災、熊本地震、西日本豪雨など過去の災害と向き合い、どう備えるべきか、起こったらどう対処すべきか、教訓から学ぶ姿勢を忘れずにいたいと思います。ただ、次の災害が起こったときに、その学びのすべてが役立つものではないということも、忘れないように。

photographs by Kei Fujiwara
text by Kentaro Matsui

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