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夏フェス常連だった電気グルーヴ、ピエール瀧が知名度を上げたのは“苦手なジャンル”?

2019/8/17 22:00 リアルライブ

ピエール瀧 ピエール瀧

 今年も各所で夏フェスが行われている。残念だったのは、大型ロックフェス『フジロックフェスティバル2019』に登場を予定していた電気グルーヴの出演が、ピエール瀧の逮捕により取りやめとなったことだろう。相方の石野卓球が出演したが、電気グルーヴとしての出演はない。今年は活動30周年にあたる記念の年だっただけに、出場が叶わなかったのは残念であろう。

 近年はピエール瀧の俳優、タレントとしての知名度が高かったため、逮捕でミュージシャンとしての電気グルーヴを初めて知った人も多いのではないだろうか。電気グルーヴは1991年にメジャーデビュー。新人時代から瀧は電気グルーヴの知名度向上担当であったといえる。

 1994年にリニューアルされた『ポンキッキーズ』(フジテレビ系)への出演時は「子供嫌いなのに子供番組に出ているピエール瀧」と一部では驚きの声もあったという。さらにダウンタウンの音楽番組『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』(同)では瀧の「楽器の弾けないミュージシャン」ぶりがイジられていた。

 この頃の電気グルーヴは、バラエティ番組にも出演しており、どこか“色物”として見られていた部分がある。そんな彼らが本格派のミュージシャンとして注目されるのが1997年リリースの『Shangri-La』であろう。現在も彼らの代表曲となっている。

 1997年は電気グルーヴにとって転機の年であり、同年に行われた第1回フジロックでは、台風接近により2日目が中止となる。この年はタイトル通り、富士山のふもとが会場であり、電気グルーヴは荒天の1日目に登場し、名曲『富士山』を披露。ここでも“楽器の弾けない”ミュージシャンとしてピエール瀧が富士山のかぶりものをしてパフォーマンスを披露した。1999年には北海道で初めて行われた邦楽主体のフェス、『ライジングサンロックフェスティバル』にも出場している。

 このころになると徐々に石野卓球の名前が海外でDJとして知れ渡るようになる。1999年にはじまった屋内レイヴイベント『WIRE』などはよく知られているだろう。なお、電気グルーヴは2001年から2004年まで活動休止をするが、その前の最後のライブの場も、この『WIRE』(西暦下2ケタがつき『WIRE01』)であった。

 この活動休止がきっかけとなったのか、ピエール瀧は俳優としての知名度をあげてゆく。相方の石野卓球が音楽活動に力を入れるならば自分は別方向でと考えたのだろう。

 みうらじゅん原作の『アイデン&ティティ』や、宮藤官九郎脚本の『木更津キャッツアイ』(TBS系)など、サブカル系のドラマ、映画に多く出演する日本映画に欠かせない俳優となった。タモリからは軍服が似合う「軍人顔俳優」として高い評価を受ける。この、芸能界への本格進出により人間関係も広がり、妻夫木聡とは朝までオンラインゲームをやるゲーム仲間となり、歌手の森山直太朗とはカラオケ仲間としても知られた

 活動の幅が広かった電気グルーヴの二人。俳優、ミュージシャンとともに活躍してきたピエール瀧の復帰、そして常連であった夏フェスへの出演も心待ちにされている。

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