「ネタりか」終了のお知らせ

いつも「ネタりか」をご利用いただきありがとうございます。

この度「ネタりか」は、2019年10月16日(水)をもちまして、サービスを終了させていただくことになりました。

これまで長きにわたりご利用いただき、ありがとうございました。

【漫画】長崎に原爆が落ちた日、祖母は黒い雲を見た。

2019/8/2 01:14 IRORIO

本日8月3日(土)21:00からNHKで『この世界の片隅に』が地上波テレビで初放送されますが、皆さん録画の準備は宜しいですか??! オンエア翌週の8月10日にはNHKスペシャルで「#あちこちのすずさん〜戦争中の暮らしの記憶(仮)〜」)の放送も決定しております。 2016年11月公開のこの作品。劇場で見るまでは  「戦争アニメでしょー?どうせ暗くて重たい系の映画なんでしょー?」  と思ってましたが、まったく違いました。クスッと笑えるほのぼの日常系アニメでした。戦時中の日常が溢れ出てました。日常系?戦時中なのに、日常系?と、お思いのそこのアナタ。戦時中なのに?いや、違う。

戦時中だって、日常だ!

令和に生きる僕らにとって、戦時中のことは映画やドラマや本で間接的に見たり聞いたりするしかないので、実感を持つのは難しいですが、当時の人たちにとってそれは紛れもなく日常だったんです。その日常がたまたま戦時中だったってだけで、僕らの世代が非日常だと思っていた戦争が、祖母の世代の日常だったんです。

うちの祖母、13歳の日常。

太平洋戦争(大東亜戦争)終戦の年、1945年(昭和20年)。すずさんならぬ、マキさんことうちの祖母は、当時数えで13歳になる年でした。kkng_36_1lowkkng_36_2lowkkng_36_3lowkkng_36_4lowkkng_36_5lowkkng_36_6low祖母の家があったのは佐賀県の牛間田(うしまだ)という地域です。祖母が閃光を目撃した八天(はってん)神社の山の向こうには多良(たら)岳がそびえており、その方向に真っ直ぐ線を引くと直線距離で約47キロ先に、長崎の町があります。 祖母が雷かと思った閃光は、長崎に投下された原子爆弾「ファットマン」が炸裂した光でした。巨大な黒っぽい雲がモクモクと立ち上るのが見え、その雲のことは今でも鮮明に覚えているそうです。

ウジが湧いた人たちが運ばれてきた

数日後、祖母が通っていたのとは別の少し離れた小学校が救護所になりました。長崎原爆で負傷した人たちが運ばれていると聞き、姉に誘われ見に行ったそうです。そこにいたのは焼けただれウジが湧いた人たちでした。小学校の記録には8月12日とあります。kkng_36maplowその小学校は鹿島市立鹿島小学校といって僕の母校なのですが、この小学校、隣の県とはいえ長崎からはかなりの距離です。長崎の道ノ尾駅が救護隊の最前線の駅になったらしいので、そこから長崎本線で有明海側をグルッと回ってきたと考えると肥前鹿島駅まで約70キロ、駅から小学校までも約1.5キロ。徒歩で約20分ほどかかります。リヤカーなどで運んだそうです。 火傷でボロボロの負傷者の方々がここまで来るのは、文字通り死ぬような思いだったでしょう。

終戦の日、玉音放送は聞かなかった

8月15日といえば、日本における終戦記念日。映画やドラマではよく、ラジオから昭和天皇の玉音放送が流れて、「…終わった。日本は負けたのか。」的なシーンをよく見ますが、祖母によると 「そもそもラジオがないから、牛間田の人間は知らなかった。」  ということで、ただ終戦になったという情報がどこから入ったかわからないが、アメリカ人が攻めてくるから、女たちは危ないから山に隠れろ、食べるものがなくなるから納めた米をすぐに倉庫に取りに行くぞ。と、大人たちは大騒ぎ。山には一晩隠れていたそうです。

今のうちに聞いておこう

戦時中の話は能動的に聞いてみようと思わなければなかなか聞けないものです。僕が祖母の話を聞こうと思ったきっかけは『この世界の片隅に』を見たからでした。祖母には今回、色々と話を聞けましたが、祖父は数年前に亡くなったため聞けず終い。今思うと当時のことをもっと色々聞いておくべきだったと思います。広島原爆、長崎原爆、そして玉音放送。日本の夏は戦争の残り香と表裏一体。この夏、地元に帰省される方は身近なお年寄りに戦時中のお話を伺ってみてはいかがでしょうか。

このネタ読んでどう思う?

投稿ありがとうございます。
よかったらログインしてコメントも書きませんか?閉じる

このネタへのコメント6

コメントを投稿するにはログインが必要です。

ログインしてコメントを書く

カテゴリ別アクセスランキング

トップ