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松崎しげるさんは飲むと20歳の息子に背負われて帰ることも

2019/7/22 12:06 日刊ゲンダイDIGITAL

松崎しげるさん(C)日刊ゲンダイ 松崎しげるさん(C)日刊ゲンダイ

【今だから語れる涙と笑いの酒人生】松崎しげるさん

 数々のヒット曲を持ち、超明るいキャラで親しまれているベテラン歌手・松崎しげるさん(69)。酒はかなり強く、バンド時代からあらゆる種類を飲んできたが、最近の楽しみは息子と2人で日本酒を飲むこと。酔うとおぶってもらうことも……。

  ◇  ◇  ◇

 オヤジはメチャメチャ酒豪だったので、もう時効だと思うけど、僕が未成年の時に「ちょっと飲んでみろ」と日本酒を勧めてきてね。ちょっとなめてみて「なんでこんな苦いものを飲むんだ?」と不思議でしたね。

 それ以来、飲まなかったけど、大学に入って2週間後に学園紛争が起きてね。当時は大学がバリケードで封鎖されて入れず、大学生は学校にいけないから、飲むのが当たり前の時代だったね。とくに僕はバンドを始めていたので、頻繁に飲んでました。

 赤坂のゴーゴーガールズという女の子がダンスを見せる店で演奏するようになり、終わるのが夜11時45分。終電に間に合う時間だけど、ちょっと年上のダンサーの女性に「坊や、おねえさんと飲もう」と誘われ、一緒に飲むんです。僕は酒が強かったから、おねえさんのおごりで始発の時間まで飲んでました。

 ウイスキーを飲むのが当時のステータス。いろいろなカクテルを飲むのもはやっていました。

 その頃はおねえさんや先輩の「振る舞い酒」ばかりでね。だってポケットに500円しかない日が当たり前。

 当時はヒッピー文化があって、みんな髪が長くてパンタロンをはいて、新宿のロータリーや公園で寝るのがファッションになっていた。1969~70年ごろの話です。自分が人にお酒を振る舞えるようになったのはソロシンガーになって、27歳くらいから。

■60度の泡盛「どなん」をバンバン飲んで沖縄の人に驚かれた

 沖縄の泡盛の「どなん」という60度以上の強い酒をショットで飲んでいた時期もある。

 沖縄に行った時にどなんをバンバン飲んでいたら、「沖縄の人もそんなに飲まないですよ~」と驚かれましたね。

 飲んでいる時は陽気になってしゃべりっぱなしで、上半身は元気なのに、いざ立とうとしたら、全然足腰が立たない(笑い)。

 でも、好きでねぇ。だから、水割りどころか氷も入れたくない。ストレートで。ちょっとでも水を足すと、牛乳みたいに真っ白くなっちゃう。そのくらいどなんは度数が強い。

■今は日本酒。ウイスキーを飲んでも「最後にお銚子を1本」

 酒遍歴はバーボンをはじめ、いろいろありましたけど、最後は日本酒が好きになりましたね。

 ビールやウイスキーを飲んだ夜も「最後にお銚子を1本ちょうだい」と言います。辛口の「ばくれん」が好きでね。今年70歳になりますけど、この年で1升いっちゃう時もありますよ。

 二十歳の息子と飲みに行くのが最近の楽しみ。息子が大きくなるにつれて、オヤジが僕に酒を勧めた時の気持ちがわかりました。

 息子は最近飲めるようになった。息子も日本酒好きだから、2人で飲むと7、8合かな。

 昨日も息子と2人で飲みに行ったんですよ。小さい頃から連れて行っていた寿司屋に行くと、女将さんが日本酒を飲む息子を見て、「ワサビも食べられなかった子がねえ」と関心してました。

 強いのは僕より息子。二十歳と70歳だから負けます。酔っぱらうと、たまに息子におぶってもらって帰る(笑い)。

 今まで苦労して育てて、やっと一緒に酒が飲めるようになって、うれしくてうれしくて、甘えたい気持ちもあるのよ。

 時々妻を入れて3人で飲みます。でも、妻がいると、大酒は飲めない。僕も息子も「いい加減に飲むのやめなさいよ!」と叱られちゃうから。

 目標は大学1年と中学1年の2人の娘が二十歳になった時に一緒に飲むこと。あと7年、健康に気をつけて仕事がんばりますよ!

 (聞き手=松野大介)

▽まつざき・しげる 1949年11月、東京都出身。日本大学芸術学部卒。バンド活動を経て70年にソロ歌手としてデビュー。「愛のメモリー」はじめ、ヒット曲多数。

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