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孤高の王者・プロボクサーの田中恒成は3階級制覇を果たしても、なぜ無名なのか?

2019/7/5 19:50 日刊SPA!

撮影/尾藤能暢 撮影/尾藤能暢

「世界王者って、こんなもんか……」

 日本最速、プロ転向5戦目で世界王者になった感想を聞かれて、田中恒成はそう振り返った。これは簡単に穫れた、という意味ではない。WBA、WBC、IBF、WBO……世界のボクシング団体が増えたことでボクサーにはチャンスが広がったが、同時に日本人の世界王者が増えすぎてしまったという現実がそこにはある。元世界王者の木村翔、田口良一を退けて3階級制覇を果たしても、「まだ無名っすよ」と田中は話す。どこまで勝てば世間は認めるのか、自分は納得するのか。今回、山形県酒田市で4日間の合宿に臨む孤高の王者を訪ねた。

◆13戦無敗、世界最速3階級制覇。だが、いまだ無名――

――次戦は8月24日、指名試合で1位の強豪、ジョナサン・ゴンサレス(プエルトリコ・28歳)との防衛戦に決まりました。

田中:相手どうこうは関係ないです。世界王者には防衛期限があり、9か月に1回はランキング1位の最強挑戦者と戦わなくてはいけないので、受けるだけです。僕自身は強い選手とやることには抵抗ないんで。

――これまで13戦無敗、ここまでくると負けることに恐怖感は?

田中:無敗の世界王者は、やはり価値がすごく高いと思うんです。変な話、“最強神話”という感じがするじゃないですか(笑)。だから負けたら王座の称号も、人気も失うとも思っています。だからといって、“ユルい相手”で防衛戦を重ねるのもダサくないですか?

◆リスクに立ち向かうために死ぬほど練習しています

――嚙ませ犬で防衛を重ねる選手がいるのも事実です。

田中:僕の考えでは、どれだけリスクに立ち向かえるか、がひとつの勝負です。負けるかもしれない、でも、それぐらいの名前のある相手、強い相手と戦わなければ世間は納得してくれない。でも、負けるのに一番ビビっているからこそ、死ぬほど練習しているんでしょうね(笑)。

――今回の合宿でも、毎朝20㎞のランニング、3時間近くミット打ちなどのトレーニング。それを終えたら、またランニング……、素人目から見れば“異常”と言える練習量です。

田中:本当は走りたくないし、走るのも好きじゃない。走るの遅いから、同じジムの若手の畑中建人にも負けっぱなしですから(笑)。この合宿は3月の防衛戦が終わってから、自分にちょっと気合が入ってなかったので、……頑張る気持ちを思い出せれば十分、という合宿です。今回の練習拠点になっている酒田ボクシングジムでも、トレーナーの皆さんにかなり追い込んでもらっています。

――この合宿には所属するSOUL BOX畑中ボクシングジムの畑中清詞会長や、お父さんの斉さんも同行されていますね。

田中:父は僕ら兄弟にずっとつきっきりです。それこそ子供の頃、空手をやっていた時代はスパルタでしたから(笑)。毎朝のランニングは自転車で伴走してくれて、学校から帰ってくれば庭にあるサンドバッグを「叩け!」と。大雪が降り空手道場に誰もいない日も、祖父のお葬式の日も練習していた。子供の頃から空手を“やる”以外の選択肢はなかった。

――まさにスパルタですね。

田中:本当に感謝しているのは事実です。幼少期に叩き込まれたことで、「頑張ること」が染みついている。今でも必死に練習ができたり、試合で強い気持ちが出せるのは、父が土台をつくってくれたのが大きい。

◆戦うしか生きる道はない。幼い頃からそう思っていた

――ボクシングはいつから?

田中:父はもともとボクシングが大好きで、本当は幼少期から習わせたかったみたいです。でも、住まいの近くには専門ジムがなかったから、まずは空手。そして小学5年生の頃にジムができたので転向。始めてみたらパンチをよけるのもすごく怖い半面、ジェットコースターみたいな気持ちよさもありハマりましたね。子供の頃からアマチュアの試合にも頻繁に出ていました。

――アマチュアでも、2年でインターハイ優勝、国体2連覇など十分な結果を残しています。

田中:よく「怪物」や「天才」とか言われますけど、全然そんなことはない、凡人ですよ。小中学生の頃は勝ったり負けたりを繰り返し、試合開始30秒でKO負けしたこともありました。負けた後は「パンチが怖い……」なんて時期もあり、気持ちが弱っているのか次の試合でも弱いパンチでも効いちゃったり……。負けた翌日は学校に行くのが嫌でした。「どうせみんな、俺が弱いって思っているんだろ?」みたいに卑屈になってしまって(笑)。

――負けた悔しさから、ボクシングをやめたいと思ったことは?

田中:一回もないです。幼少期から空手、ボクシング漬けの日々でした。勝ったり負けたりを繰り返して、将来はプロになれるのか、お金を稼げるのかなんて一切保証はなかった。でも、やめるなんて選択肢だけはなかったんです。自分には“戦うこと”しか生きていく道はない、と漠然と幼い頃から思っていた。

――幼少期の頃、脚の病気にもかかったそうですね。

田中:小学校に上がる少し前なんですけど、「歩き方がちょっとおかしい」と指摘されて気がつきました。股関節が壊死するペルテス病(※)で、手術を受けて1か月の入院、松葉杖や車いすで生活をしました。実は父も同じ病気で、2~3年かかって治しているんです。父はその後遺症で今でも左右の脚の長さや太さが違っています。僕の場合は今でも股関節がちょっと硬いですね。

※…大腿骨骨頭(股関節にはまっている部分)が血行障害により壊死する病気で、生後18か月から骨の成熟期までの間に発症する。2万人に1人の難病といわれる

――子供の頃だったら、特に大変だったのでは?

田中:学校には松葉杖で通っていましたね。イジメまではいかないけど、からかわれることも多かった。やっぱり傷つきましたもん、子供心に。

――今、ペルテス病の子供たちの慰問もされているそうですね。

田中:SNSでも同じ病気の人からメッセージをもらいますし、「試合を見て、元気をもらいました!」と言ってもらうこともあります。正直、慰問活動では僕のことを知らない子供もいます。でも、「君はいま悩んでいるかもしれないけど、お兄ちゃんはこんな元気だし、強いんだぞ!」という姿を見せて、頑張る一つの糧になったらいいな、と思っています。

※7/2発売の週刊SPA!のインタビュー連載『エッジな人々』から一部抜粋したものです

【田中恒成】
’95年、岐阜県生まれ。アマで高校4冠に輝き、’13年、高3の11月にプロデビュー。’15年には日本最速の5戦目でWBO世界ミニマム級王座を獲得。’16年には2階級目となる同ライトフライ級、’18年には同フライ級王座を獲得し世界最速タイの12戦目で3階級制覇を達成
取材・文/高崎計三 撮影/尾藤能暢 協力/酒田ボクシングジム

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