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遺伝子医学の権威がDNA鑑定で知った出生の秘密

2019/6/30 09:00 ギズモード・ジャパン

遺伝子医学の権威がDNA鑑定で知った出生の秘密 遺伝子医学の権威がDNA鑑定で知った出生の秘密

190622truthPhotograph by Jim Harrison - Harvard Magazine

あらゆるストーリーには3つの面がある。あなたが生きた現実、私が生きた現実、真実。みな嘘偽りはない。

こんな名言ではじまるケミカルバイオロジー研究の第一人者スチュアート・シュライバー博士の父の日コラムがHarvard Magazineに載っていて、父親って何なんだろう…と思わず考えてしまいました。

父の日が母の日ほど盛り上がらないのは、血のつながりの実感が薄いから、なんて言われますけど、博士は2年前、兄に「アルツハイマー(母親の死因)の遺伝子がないか見てくれ」と頼まれて、たままた遺伝子鑑定サイト23andMeにアクセスして、血が4分の1しかつながっていないことを知り、3人兄弟で自分だけ父親が違うことに気づきました。

博士はハーバード大に大きなラボを構え、MITとハーバードの遺伝子医学の2大研究所を統合し「ブロード研究所」を共同設立した世界的権威です。同研究所では精鋭4000人が働き、最近もあのCRISPR-Cas9特許の取得で話題になったばかり。

こんなことがあるんですね…。

家の中のエイリアン

小さな頃から、軍人の厳格な父親に殴る蹴るの暴行を加えられて育ち、病院に担ぎ込まれたこともある博士は、62年間ずっと自分だけエイリアンのような疎外感を味わっていたといいます。殴られるときには下界を遮断して殻に篭る術(母親譲り)を身に着けて。

謎が解けたときには3段階の変化を辿りました。第1段階は「無」。まったく実感が湧かず、衝撃も怒りも失望も何もなく、頭がよく回らない状態です。次に襲ってきたのは「喪失感」。まるで錨が外れて海に投げ出さたような気持ちになりました。

自分は誰なんだ? どこからきたのだ? この体に流れている人間はいったい誰なんだ? いつのまにか無意識に手を振っている自分がいた。体の中にいる他人を振り払うように。

[...]一番気になったのは、自分を身ごもったとき母親が、愛され、支えられたのかということだ。 実の父親の素性より、そのことで頭がいっぱいになった。

この2つの波を経て、ようやく遺伝子解析の専門家の目に戻り、父方の家族探しの旅に乗り出します。

数奇な運命のめぐりあわせ

非営利団体「DNA Doeプロジェクト」が行方不明者捜索で使うDNA解析のアプローチで、入手可能な先祖探しのデータベースを片っ端から当たること2か月、ようやく実の父親に辿り着き「the crybaby」とコードネームを付けました。父親の前ではどんなに殴られても絶対泣かないことに決めて育ち、ずっとうまく泣けない人間だったのに、父親が違うとわかってからは、すっかり涙腺がゆるくなってしまったからです。

さらに調べてみたら、「the crybaby」は博士が生まれた当時、朝鮮戦争から帰還して近所に住んでいたことが判明しました(明け方の5時に喜びのあまり叫んで奥さんを起こしてしまった)。写真で見てみたら眉も目も鼻も耳もあごも、35歳で若ハゲになるところまでそっくり。想像したとおり、「the crybaby」は涙もろく、やさしい人でした。きっと家で殴られて落ち込む母親を気の毒に思って相談に乗ったりしていたのではないかと博士は考えました。

そのほかにも遺伝子の糸を頼りに聞き込みなどを続け、半分血のつながった兄弟5人、親類縁者150人、先祖2500人以上を1年半で特定。母方の曾曾曾曾曾曾曾祖母は18世紀初頭に実在したチョクトー族の酋長の娘だったことまでつかみ、どうりで17番染色体がネイティブインディアンDNA強めなんだね!と納得したりしています。葬式で親類縁者が集まったときに家系図ソフトを広げて記憶がおぼろげなおじいちゃん・おばあちゃんに聞き回っても数十人で止まってしまうわれわれ凡人とはやはりレベルが違いますよね…!

母親も同じ立場だった

レベルが違うと思ったのは、博士の先祖探しは、戸籍とは別の次元の現実だから。遺伝子は嘘つかない…というわけで、母親(修道院育ちという以外、過去はあまり語りたがらない人だった)も、生前に死に別れた父親とは実は血がつながっていないことがわかりました。

祖母は売春婦、実祖父は酒類密売人。人をひとり殺めて売春宿に転がり込んだときに授かったのが、博士の母親だったのです(これにはさすがの博士も驚いたようで、自分は本来生まれるはずのない人間を2回クリアした人間、宝くじが2回当たって今がある、と書いてます)。そんな実祖父ではありますが、のちに保安官になって、14歳で父親に遊女奉公に出された祖母のような薄幸な娘たちの用心棒をやっていた模様です。まるで時代絵巻のようですね。

育ての父親

ひとつだけどうしても考えてしまうのが、「父親はこのことを知っていたのか?」ということです。博士が生まれてすぐ父親は1年間単身赴任して、母親は乳飲み子と病気がちな子どもを抱えてどん底でした。その後、家族そろってパリ駐留になったはいいのだけど、書斎に呼びつけて殴るのがはじまって、それは兄弟もおかしいと思ってたし、周囲の人たちにも「素行が悪いわけでもないのになぜあの子にだけ冷たいの?」と不思議がられていました。それらの状況から判断して、おそらく知っていたんじゃないかと博士は見ています。

でも育ての父親は学究肌で、共著論文も執筆経験がある人でした。化学研究を厳しくしつけてくれたのは父親です。数学や物理を重視する人だったのに、1990年代はじめバイオ医療分野に転向を決めたときには初めてほめてくれました。晩年はすっかり好々爺になって、そのまま感謝のひとつもしないで死に別れるのだけは避けたいと博士は思うようになり、ある父の日、感謝のカードを書斎に置きます。「お父さんへ。父の日おめでとう。実直、誠実、好きなことに打ち込んで自分を高めること。これを教えてくれたのはお父さんです。ありがとう。息子より」

いくら待っても、なんの返事もなかったけど、半年後、実家に戻ったら書斎の机にぽんとカードが置かれてありました。それは父親からおじいちゃんに宛てて出しそびれた父の日のカードでした。「お父さんへ。父の日おめでとう。恵まれない環境で苦労して育ったのに、家族のためにがんばって、何不自由ない暮らしを支えてくれているお父さんは僕の誇りです。いつもありがとう。Tom」

面と向かって仲直りすることは最後までなかったけど、父親が亡くなってから、本の間に2通のカードが仲良く挟まれているのが見つかったのだといいます。

父親であること

父親は何なのかという話に戻ると、英語ではよく、プロバイド(provide /与える)する人だっていう言い方をします。与えるものは遺伝子であることもあるし、愛であることも、生きる術であることもあります。与える限りにおいては、すべて父親です。

ちょっと遅れてしまったけど、お父さんにありがとう言いそびれちゃったみなさまもいつか機会があるといいですね。

Source: Harvard Magazine

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