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「いだてん」金栗四三と嘉納治五郎が訴えてきたことが復興大運動会に!第1部クライマックス24話

2019/6/30 10:27 エキレビ!

イラスト/まつもとりえこ イラスト/まつもとりえこ

NHKの大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」は、先週6月23日放送の第24話をもって金栗四三(中村勘九郎)を主人公とする第1部が完結した。第24話は、スポーツは人を楽しませ、生きる活力を与えるものだという、このドラマが半年かけて伝えてきたことが結実したような回だった。

四三よ、いまこそ韋駄天になれ!


前回、第23話では関東大震災(1923年9月1日)が発生、火災を中心に大きな被害が出るなか、シマ(杉咲花)が行方不明となる。四三は夫の増野とともに懸命に探すが、ついに見つからずじまいだった。

東京では家を失った人たちがあふれ、バラックと呼ばれる仮設住宅が大量に必要となる。対処に追われる東京市長・永田秀次郎(イッセー尾形)に、嘉納治五郎(役所広司)が建設中の神宮外苑競技場を避難場所に提供すると申し出た。広大な競技場に設けられた外苑バラックには6400人の罹災者が収容された。

増野と四三はここでもシマを探していたところ、「丸焼け屋のすいとんだよー」とすいとんの売り声が聞こえる。誰かと思えば、小梅(橋本愛)だ。震災直後から人力車を引き始めた夫の清さん(峯田和伸)とともに、彼女もまた、ほかの罹災者のため働いていた。増野は、小梅から「シマは里に帰ったのではないか」と励まされる。鉄道の運転が再開するや、大勢の人が地方へ避難していた。四三も、小梅に「金栗さんとこもご家族、心配してるんじゃないの?」と言われて、熊本の実家に帰り、妻・スヤ(綾瀬はるか)や子供たちと久々の再会を果たす。じつに4年ぶりの帰郷だった……って、4年も帰っていなかったのか! 

帰郷すると、スヤや兄の実次(中村獅童)は四三の無事に安堵する。熊本には、富士山が爆発したなど、根も葉もない流言蜚語が新聞で伝えられていた。通信網が寸断されたのもあってだろう、地方にはまるで正確な情報が伝わっていなかったのだ。それだけに、四三が直接帰って無事を知らせたのは正解だったが、ただ一人だけ、帰ってきたことをなじる者がいた。義母の池部幾江(大竹しのぶ)だ。

「な〜し、いま東京が大変なときに帰ってきた」「そぎゃんんときこそ、東京に残って踏んばらんとどぎゃんする!」……幾江のあまりに激しい言葉に、スヤは反論し、実次にも何か言うよう求める。急に言われて戸惑う実次から、とっさに口をついて出たのは「逆らわずして勝つ!」という言葉だった。兄が苦しまぎれに言った言葉に四三は妙に納得する。

「大地震に立ち向かうとじゃのうて、そん力ば逆に利用して最終的に人間が地震に勝てばよか! 『柔よく剛を制す』。そぎゃんたいね、兄上!」
「東京が大変かときに、俺は何もできん。我が無力ば痛感して勝手にしょげ返っとったばってん、そもそも人間は無力ばい。だけん、何も考えんで、いままでんどおり、バカんごつ走ればよか」

「柔よく剛を制す」とはさすが柔道の創始者・嘉納治五郎の教え子らしい理解のしかただ。そもそもこれは四三のいままでの生き方そのものではないか。そう、彼はストックホルムオリンピックでレースを途中でリタイアしたときも、ベルリンオリンピックが戦争で中止になったときも、逆境に真っ向から立ち向かうのではなく、むしろそれを受け入れ、いままでどおり走り続けることで乗り越えてきた。

すっかり目が覚めた四三は、こうしちゃいられないと東京に戻ろうとする。そこで幾江がこれを持っていけと、ひそかに用意していた食糧など救援物資を見せ、こんなことを教える。「ぬしゃ、韋駄天が何の神様か知らんとか」「人々んために走って、食いもんば集めて運んだ神様たい」。これに四三の母・シエ(宮崎美子)も「だけん『御馳走』って言うとばい」と応じる。もっとも、辞書で調べても、そういう説明は出てこない。しかし大竹しのぶの口からそう説明されると、つい納得させられてしまう。

ともあれ、大量の救援物資を抱えて四三はスヤをともない東京に戻る。運びきれなかった分は、幾江が下宿の播磨屋に送ってくれた。四三はそれらを背負うと、弟子たちと一緒に東京中を駆け回って、罹災者たちに配り始めた。スヤも炊き出しを行なう。各所の避難所では女学生たちが罹災者の世話で活躍しており、四三も教え子の村田(黒島結菜)や梶原(北香那)と出会う。そこへ増野が幼い娘のりくを抱いて現れた。先の小梅の助言を受けてシマの郷里まで行ったのだが、「やはり里には帰っていませんでした」と伝えるのが切ない……。

避難所から聞こえる被災者のすすり泣き


そのころ若き日の古今亭志ん生=美濃部孝蔵(森山未來)は、寄席が戒厳令で閉鎖中のため仕事がなく、無為の日々をすごしていた。しかし、ぶらっと表に出ると、即席の寄席(といっても屋根もない露天の舞台)ができていて、芸人たちが罹災者たちを楽しませていた。震災から数日が経ち、命が助かった人々は一瞬でも心を癒そうと娯楽を求めていた。孝蔵もさっそくあちこちで罹災者相手に落語を披露し始める。外苑バラックにも、清さんに頼まれて慰問に出向く。楽団も登場し、当時の流行り歌「復興節」を演奏し、明るくにぎやかな雰囲気になる。

しかしそれも一時のこと。夜、避難所で孝蔵と久々に飲みながら清さんは、ふいに彼を黙らせると、周囲からすすり泣く声が聞こえてきた。震災で身内を亡くした罹災者たちが、毎晩、床に入るとたまらず泣いているのだという。しかしそんな人たちも明日になれば、また何食わぬ顔しておはようと挨拶してくれる。清さんは、「孝ちゃんにはそういう落語をやってほしいんだ」と言う。その夜、四三も外苑バラックに泊まり、そこでシマがグラウンドを走っている幻を見る。女学生時代の姿の彼女は「金栗先生……」と言うと消えてしまった。このときシマは四三に別れを告げに来ていたのかもしれない。

大日本体育協会(体協)では久々に理事会が開かれ、外苑バラックに名誉会長の嘉納以下、会長の岸清一(岩松了)、永井道明(杉本哲太)、可児徳(古館寛治)、野口源三郎(永山絢斗)、二階堂トクヨ(寺島しのぶ)とおなじみのメンバーが顔をそろえた。嘉納はこの席上、来年(1924年)のパリ五輪に選手を派遣すること、そのために全国陸上競技大会を開催して予選とすることを発表。これに二階堂が、いまはスポーツだの体育だの言っている状況ではないと反論する。対して野口は嘉納を支持すると明言。よく見れば、彼は破れたシューズと子供用の下駄と左右の足に違うものを履いていた。嘉納はこうした議論が生まれたのを喜び、3つ目の提案として、外苑競技場での復興運動会の開催をぶち上げる。それは四三のアイデアだった。

「ここでは子供たちの笑顔こそ唯一の救いだ。あの子たちにこそオリンピックを見せてやりたい。そこで運動会だ。男女問わず、子供から大人まで誰でも参加できる復興運動会をこの外苑競技場でやる! これこそスポーツによる復興じゃないかね」と嘉納は訴えるが、懸案は避難所の自治会長から承諾を得ることだった。何と、自治会長とは清さん。孝蔵には落語を頼んだ清さんだが、なぜか運動会には「正直、娯楽は間に合ってんだよね。上野か日比谷でやったらどうよ」と否定的だ。小梅も、バラックでの暮らしがいかに大変か訴え、夫に同調する。けが人もたくさんいるし、運動会を開く余裕などないというのだ。

だが、そこへ増野が現れ「やっていただけないでしょうか」と賛同する。なるべく大々的に宣伝をすれば、シマの耳にも届いて、駆けつけてくれるのではないか。彼は運動会に一縷の望みを託す。これを受けて清さんも渋々ながら、最終的に運動会の開催を承諾した。

懐かしい顔ぶれがそろった復興運動会


こうして外苑競技場での復興運動会が開催される。当日、四三が会場に赴くと、「フォーティースリー」と懐かしい声に呼び止められる。ストックホルムオリンピックで日本選手団に同行した大森安仁子(シャーロット・ケイト・フォックス)だ。安仁子はストックホルムオリンピックのあと、母国アメリカに渡って夫で元日本代表監督の大森兵蔵(竹野内豊)を看取ったあと、日本に戻って児童福祉施設を開いていた。この日も震災で親を失った子供たちを連れて来ていた。

運動会では、大森が日本に伝えたバレーボールも実施された。そのほか、可児がアメリカからもたらしたドッチボールなどの球技をはじめ、競走や綱引きなどさまざまな競技が行われ、罹災者たちは子供からお年寄りまで、このときばかりはつらい日常を忘れて心からスポーツを楽しんだ。

安仁子に続き、またもや四三のもとに来訪者があった。人見絹枝(菅原小春)だ。前年、岡山の女学校でのテニス大会で、四三の教え子たちを完膚なきまでに叩きのめした人見は、このとき四三に同行したシマから後日、陸上への転向を勧める手紙を受け取っていた。彼女はシマにどうしても御礼が言いたくて、岡山から出てきたのだった。しかし当のシマはいない。四三は、増野を呼んで人見と引き合わせる。四三が人見に頼んで見せてもらったシマの手紙には、彼女が四三に憧れて始めたこと、いまの生きがいは女子スポーツの普及だということがつづられていた。

四三は、人見にさりげなく足のサイズを訊くと、シューズを用意し、女子のリレーに参加してもらった。アンカーを務めた人見は、四三の教え子の村田と一騎打ちとなり、一緒にゴールへ飛びこむ。その映像のバックには、シマの声でさっきの手紙の続きが読み上げられる。それは人見のその後を予感させる一文であった。

「女子の陸上はまだ世界でも認められていません。だけど私は、あなたの走る姿を世界中に見せたい。私が金栗先生に憧れたように、あなたの走る姿を見て、あなたのようになりたいと願う女の子が一人でも現れたら、それこそが女子スポーツの未来を開くのです」

復興運動会のラストを飾ったのは、オリンピック出場選手による徒競走だ。四三や野口のほか、三島弥彦(生田斗真)も赴任先のアメリカから駆けつけ、レースに参加した。嘉納や可児、女性記者の本庄(山本美月)、三島とは天狗倶楽部での仲間だった吉岡(満島真之介)といった面々が見守るなか、永井の号令で選手たちがスタート。四三の快走に、「彼が走るとみんなが笑顔になる」「まさに韋駄天ですな」と嘉納と可児が話していると、スヤが「そぎゃんよかもんじゃなかです。『ああ、バカだ、バカの走りよる』て、みんな笑っとるだけたい」と笑いながら言う。

神様ではなく、四三は単に好きで走っているだけなのだ。このときも、三島たちがゴールしたにもかかわらず、四三だけはなおも走り続けた。ケガや病気のため運動会に参加できなかった人のため孝蔵が落語をしていたところ、その前を横切って、孝蔵に「サゲまでやらせろい!」と怒鳴られる始末。いつしか会場には韋駄天コールがこだまし、まさに大団円を迎えたところで、ビートたけしの志ん生が「その晩、外苑バラックから泣き声は聞こえませんでしたよ。みんな疲れて、とっとと寝ちゃったんでしょう」としっかりオチをつけ、第1部を締めくくった。

金栗四三が伝えたかったこと


復興運動会には、これまでの主要な登場人物の大半(ただし美川は除く)が顔をそろえ、まさにクライマックスにふさわしい光景となった。亡くなった大森の遺志は安仁子に引き継がれ、そして行方不明となったままのシマの思いも、人見絹枝に託され、第2部での活躍を暗示させた。何より、スポーツとは楽しむものだと、これまで四三や嘉納が前半を通して訴え、体現してきたのは、こういうときのためだったのだと復興運動会は気づかせてくれた。

実際には、金栗四三が復興運動会を企画したという事実はない。実際に運動会が開催されたのも、外苑ではなく、番組終わりの「いだてん紀行」で紹介されていたとおり上野だった。また、四三が被災地を走り回って人々に食べ物を配るというのは史実だが、これもそもそもは、すぐにでもマラソンの練習を再開したいが、こんなときに手ぶらで走っていては袋叩きにされるとの理由から四三が思いついたものだった。逆に、震災直後でもすぐにトレーニングを再開したあたり、ドラマのなかでスヤが四三を「『ああ、バカだ、バカの走りよる』て、みんな笑っとるだけたい」と言っていたのを裏づけている。

四三は走るのが好きで好きでたまらず、箱根駅伝を始めたり、女子教育の普及に努めたのも、結局は、自分が味わっている楽しさをほかの人にも知ってもらいたいという一念からだったのだろう。

きょう放送の第25話からは主人公が田畑政治(阿部サダヲ)へとバトンタッチされるが、四三はなおドラマに登場する。「マラソンバカ一代」はまだまだ終わらない。東京でオリンピックを開きたいとの夢を抱く嘉納治五郎の今後とあわせて彼の動向にも注目したい。(近藤正高)

※「いだてん」第24回「種まく人」
作:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺・古今亭志ん生:ビートたけし
タイトルバック画:山口晃
タイトルバック製作:上田大樹
制作統括:訓覇圭、清水拓哉
演出:一木正恵
※放送は毎週日曜、総合テレビでは午後8時、BSプレミアムでは午後6時、BS4Kでは午前9時から。各話は総合テレビでの放送後、午後9時よりNHKオンデマンドで配信中(ただし現在、一部の回は配信停止中)

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