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サザンオールスターズはどうして国民的バンドと呼ばれるのか?『バラッド3 〜the album of LOVE〜』収録曲の私的一考察

2019/6/19 18:00 OKMusic

6月15~16日、東京ドームでの2日間の公演を以て、サザンオールスターズの全国ツアー『“キミは見てくれが悪いんだから、アホ丸出しでマイクを握ってろ!!”だと!? ふざけるな!!』が無事終了。デビュー40周年をきっちりと締め括った。当コラムでは、本ツアーがスタートする直前から3週連続で彼らの名盤(『熱い胸さわぎ』『人気者で行こう』『Young Love』)を紹介してきたが、ツアーの大団円を記念して、今週はサザン名盤紹介の番外編をお届けしたいと思う。私的“サザンオールスターズ=国民的バンド”論。

いつから、どうして “国民的バンド”に?

今回は、3月13日付けの当コラムで『熱い胸さわぎ』を取り上げた際、その中で触れた“サザンオールスターズ(以下サザン)=国民的バンド”問題に決着を付けたい。“サザン=国民的バンド”問題とは、サザンはいつから“国民的バンド”となり、また何を以て“国民的バンド”と言われるようになったのか…である。
視聴者投票によってスナック菓子やアイスクリームのランキングを決定するTVのバラエティ番組がある。あんな風に“国民○万人がガチで投票! バンド総選挙”なるものがあったとして、そこでサザンが1位になっていたのなら、まだサザンが“国民的バンド”であることに少しはうなずけよう。しかし、ご承知の通り、過去にそんなことはなかったわけで、我々は何の裏付けがないまま、“サザン=国民的バンド”と呼んでいる。いや、そう呼ばせられてると言ってもいいかもしれない。
『熱い胸さわぎ』の回では、セールス面においてサザンを上回るバンドはいくつもあること。それほど多くの全国ツアーを行なってきたバンドではないこと。さらには、サザン自体、バンドとしての休止期間も長く、案外コンスタントに活動していないこと。それらのことから、そうしたバンドを“国民的”と位置付けていいものかと難癖を付けた。ほとんど言いがかりの類いであることは承知だが、とは言え、そう考えてしまうともはや納得もいかぬ。納得のいかないままでは気持ち悪いというわけで、自分が吐いた難癖に自らがその根拠を示そうと相成った。その酔狂なお遊びに、しばしお付き合いいただければ幸いである。

バンドのシングルで最高売上の 「TSUNAMI」

まずサザンはいつから“国民的バンド”と呼ばれようになったのか…である。もちろんジャストこの日から…という記念日みたいなものはない。ないが、これは2000年のシングル「TSUNAMI」のヒットがそう形容される最大のきっかけであったと見て間違いなかろう。
「TSUNAMI」はサザン史上最大のヒット曲である。2000年度の年間シングル売上ランキング1位。何と翌年の2001年度でも年間4位であった。そればかりか、平成のシングル売上ランキング2位で、昭和を含めた歴代シングル売上ランキングでも4位だ。ちなみに、平成のシングル売上の1位はSMAPの「世界に一つだけの花(シングル・ヴァージョン)」。歴代シングル売上の1位は「およげ!たいやきくん」で、2位はぴんからトリオの「女のみち」、3位は「世界に一つだけ~」であるからして、平成においても歴代でもバンドでのシングル曲の売上最上位はサザンの「TSUNAMI」であることは紛れもない事実である。
それだけでも十二分なのだろうが、何しろ「TSUNAMI」は第42回レコード大賞受賞曲である。最近はいろいろと揶揄されがちなレコード大賞であるが、何だかんだ言っても、日本音楽市場、エンタメ業界におけるひとつの権威であることに違いはない。少なくとも前世紀、2000年くらいまでは確実にそうであった。その賞をサザンが獲得したことで、誰憚ることなく、その存在が“国民的”と言われるだけの礎となったと言ってもよかろう。
また、サザンにとってレコード大賞受賞はかなり大きな意味があったことと勝手ながら想像する。それは、サザンが「勝手にシンドバッド」でデビューした1978年に遡る。「勝手にシンドバッド」に関しては3月13日付けの当コラムでも述べた他、さまざまな方が述懐しているように、そのインパクトはそれまで誰も体験したことのないほど強烈なものであったのだが、芸能シーンでの評価は低かったと言わざるを得ない。この1978年の暮れ──江川卓氏の”空白の一日”の翌日だったと思うので確か1978年11月22日のはず──その年の大みそかに決定する第20回日本レコード大賞各賞のノミネートが行なわれた。そこでサザンは新人賞の5組の選から漏れている。しかも、最後の5組目を決める決戦投票で破れているのだ。1978年は新人が豊作であったことは事実だが(世良公則&ツイストが新人賞の受賞を辞退していたりもする)、あの時のサザンの話題性と「勝手にシンドバッド」の売上を考えると、最優秀新人賞は獲れなかったにしても、その年の新人賞にノミネートされた歌手たちに大きく引けを取っていたとは思えない。選に漏れた瞬間、憮然とした表情でテレビに映し出される桑田佳祐を見て、こちらも我がことのように憤ったことを覚えている。
サザンは翌年の1979年には『10ナンバーズ・からっと』でベスト・アルバム賞を受賞するなど、アルバム関連で日本レコード大賞に縁はあったのだが、「TSUNAMI」までは楽曲単位で日本レコード大賞にエントリーされることはなかった。サザンの評価を一変させた「いとしのエリー」(1979年)もエントリーすらされていないし、「真夏の果実」(1990年)で最優秀ロック・ボーカル賞を獲得しているものの、その後のヒット曲、「涙のキッス」(1992年)、「LOVE AFFAIR~秘密のデート」(1998年)にしても無縁だった。今では信じられないことだが、巷の人気と(一部の)業界内での評価に明らかな乖離があったと言える。筆者は、その新人賞の一件以来、マネジメントを含めてバンド側が賞レースそのものを辞退していたと勝手に思い込んでいたのだが、2000年の「TSUNAMI」で戴冠。サザン自体が大衆への意識をさらに強くしたのか、特大ヒットとなった「TSUNAMI」を業界自体が無視できなくなったのか、そこにどういった意思・意図が働いたのかは分からない。分からないが、「TSUNAMI」のレコード大賞受賞によって、大袈裟に言えば芸能史の潮目が変わったことは確かではないだろうか。“国民的バンド”と呼ばれるだけの素養はここで充分に備わったと思う。

非シングル曲「希望の轍」へ集まった 支持

続いて、何を以て“国民的バンド”と言われるようになったのか…を考察してみたいのだが、こちらは“いつから”よりも質が悪い。そもそも“国民的”なる概念もよく分からない。ラーメンやカレー、あるいはフォルクスワーゲンじゃあるまいし、冷静に考えれば、そんな基準をバンドに付けること自体がおかしいと言えなくもない。「TSUNAMI」は最も売れたバンドのシングルでレコード大賞受賞曲ではあるが、トータルでの音源セールスや、ライブ本数、動員でサザン以上のバンドがいることは前述の通りで、その人たちに“国民的バンド”という形容がなされているのを見たことがないので、どこか言ったもの勝ちのような様相もある。
日本国民の大多数に愛される要素がどこにあったのか。正直言ってそのバロメータみたいなものは計ることはできない。しかし、結果的にそうであることを認めざるを得ない場面は確実にあった。直近で言えば、2018年の第69回紅白歌合戦、その大トリでの演奏シーンがそうである。紅白歌合戦も一時期に比べれば視聴率が低迷し、こちらもまた揶揄の対象とされることがなくはないが、それでも40%前後の数字を挙げるのだから(第69回は後半の平均が41.5%)、依然、日本国民にとって年末の風物詩であると言える。そこでサザンが大トリを務めた意味は極めて大きい。ステージ上に北島三郎、松任谷由実ら他ジャンルの大物を呼び込んで大いに盛り上がったことに対しても、大方の見方は歓迎ムードだった。“時代が変わった”という趣旨で報じる芸能マスコミもあった。
個人的には、そこで演奏されたのが「希望の轍」と「勝手にシンドバッド」であったことも重要だと考える。「希望の轍」はサザンの代表曲のひとつであるものの、シングル曲ではない。そればかりか、元々サザンの楽曲ですらない。映画『稲村ジェーン』(1990年)のサウンドトラックに収録されていたのもので、サザンのライブで演奏されることでバンドの楽曲となり、それがファンにも周知されていったものだ。のちに様々な有名人がこの楽曲が好きなことを公言していったが、そもそもはバンドとファンがライブを重ねる中で育んできた楽曲である。それが平成最後の紅白歌合戦で披露されたことはライブバンド、サザンの面目躍如であり、それを堂々と天下に示したと言える。
サザンのデビュー曲「勝手にシンドバッド」は(上記、レコード大賞の件で説明した通り)“サザンによって時代が変わる!”と思う人も多数出現するほどに音楽シーンに強烈なインパクトを与えたものの、1978年当時の音楽シーン、芸能界の壁を崩すことができなかった。そこにはレコード会社やマネジメント会社の力学やらナンチャラもあったのだろう。しかし、そこでサザンは、例えばテレビ出演を一切拒むといったように腐るわけでもなく、ドラマやCMでの楽曲タイアップがあったものの、バラエティ番組に出演したりするような過度に芸能寄りになるようなこともなく、持ち場を堅持し続けた。
それほど多くの全国ツアーを行なってきたバンドではないことと、バンドとしての休止期間も長く、案外コンスタントに活動していないことを挙げて、サザンが“国民的バンド”と呼ばれるのはどうだろうかと筆者は悪態をついたが、デビューした1978年から少なくとも2000年くらいまでは、原由子の産休期間を除いてはサザンの動きは止まっていない。産休の1986~1987年を除けば、ライブを欠かしてもいないし、その実質20年間でシングル44枚、オリジナルアルバムは13枚を発表しているのだから、十分活発に動いていたと言える(2000年以降はそのペースが落ち着いていくのだが…)。音源制作とライブ。音楽家として真っ当な道を歩んだのだ。そんな中で生まれ、ファンと共に育ってきた「希望の轍」が、デビュー時に業界内で評価が分かれた「勝手にシンドバッド」と共に、日本国民の年末の風物詩で披露された。このことが即ちサザンが“国民的バンド”である必要条件になったわけではないだろうが、多くの人が納得のいく形での、かなり色濃いお墨付きは与えられたことは確かだろう。

単なるベストではない『バラッド3』

というわけで、「TSUNAMI」と「希望の轍」、そして「勝手にシンドバッド」を“国民的バンド”サザンの最重要曲として上げたいと思うだが、これがすべて収録されているアルバムは、残念ながら今のところは存在しない。『HAPPY!』(1995年・期間限定商品のため、現在は廃盤)と『海のYeah!!』(1998年)に「勝手にシンドバッド」と「希望の轍」とが、『バラッド3 〜the album of LOVE〜』(2000年)には「希望の轍」と「TSUNAMI」とが収録されている。「勝手にシンドバッド」はすでに『熱い胸さわぎ』を取り上げたので今回は『バラッド3』の紹介と相成った(ちなみに「TSUNAMI」はサザンのオリジナルアルバムには未収録で、あとは『海のOh, Yeah!!』(2018年)の1曲目に入っているのだけれど、『海のOh, Yeah!!』には「勝手にシンドバッド」と「希望の轍」が入ってないんよ)。

CD2枚組、全28曲収録。上記2曲の他、「真夏の果実」「涙のキッス」「LOVE AFFAIR 〜秘密のデート」などの人気曲が収録されている一方で、「女神達への情歌 (報道されないY型の彼方へ)」や「愛の言霊 〜Spiritual Message〜」といったシングルでも一風変わった(?)マニアックとも言えるナンバーもある。また、サザンが影響を受けてきたオールドスクールなロックへの敬愛が感じられる「HAIR」や「愛無き愛児 〜Before The Storm〜」があったり、松田弘がボーカルを務めた「夏の日のドラマ」が収められていたりと、所謂シングルベスト的な作品集ではないのもいい。そこにバンドとしての意思がちゃんと見える作りであるのもサザンのバンドとしての矜持を感じられるところである。

TEXT:帆苅智之

アルバム『バラッド3 〜the album of LOVE〜』


2000年発表作品



<収録曲>
■DISC1
1.真夏の果実
2.女神達への情歌(報道されないY型の彼方へ)
3.さよならベイビー
4.逢いたくなった時に君はここにいない
5.希望の轍
6.忘れられた Big Wave
7.せつない胸に風が吹いてた
8.涙のキッス
9.OH, GIRL (悲しい胸のスクリーン)
10.素敵なバーディー (NO NO BIRDY)
11.冷たい夏
12.HAIR
13.慕情
14.クリスマス・ラブ(涙のあとには白い雪が降る)

■Disc 2
1.愛の言霊(ことだま) 〜Spiritual Message〜
2.BLUE HEAVEN
3.あなただけを 〜Summer Heartbreak〜
4.Moon Light Lover
5.愛無き愛児(まなご) 〜Before The Storm〜
6.心を込めて花束を
7.唐人物語 (ラシャメンのうた)
8.SAUDADE 〜真冬の蜃気楼〜
9.湘南SEPTEMBER
10.TSUNAMI
11.夏の日のドラマ
12.LOVE AFFAIR 〜秘密のデート
13.SEA SIDE WOMAN BLUES
14.素敵な夢を叶えましょう

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