田中角栄「怒涛の戦後史」(3)小佐野賢治(下)

2019/6/17 06:00 週刊実話

 田中角栄は昭和47(1972)年7月、ライバル福田赳夫との「角福総裁選」を制して、ついに首相の座に就いた。この総裁選のさなか、すでにメディアの社会部系記者の間では、田中の怪しげなカネにまつわる話が半ば公然と流布され、たとえ総裁選で勝ち上がっても「三日天下に終わるのではないか」という見方も出ていたのだった。

 そうした状況の中、側近秘書二人が田中に次のような進言をした。一人は共同通信社の政治部出身で政策通として知られていた麓邦明、もう一人が「東京タイムズ」政治部出身の早坂茂三であった。いずれも将来を期した田中が、秘書として雇ったものである。田中の個人事務所で、麓は政策、早坂は広報を担当した。

 二人は口をそろえるように言ったのだった。

 「オヤジ(田中のこと)さん、あなたが天下を取っても、命取りになるのではと心配していることがあります。佐藤昭子さん、小佐野賢治氏と、手を切っていただけないでしょうか」

 佐藤昭子は田中と同じ新潟県の出身で、昭和21年4月、田中が衆院選に初出馬(このときは落選)した時期に知り合い、やがて愛人関係となって、麓や早坂ともども田中の個人事務所で秘書として働いていた。頭も切れることから、ついには「田中の金庫番」「越山会(田中の後援会名)の女王」として、永田町では知らぬ者なし、とくに田中派議員からは一目置かれる存在になっていた。

 麓と早坂が別れ話を切り出したそのときは、すでに20年以上の愛人関係が続き、田中と「二人三脚」で政治活動にたずさわっていた。天下を取れば、半ば公然としての愛人、そして田中の集めるカネの流れも熟知していることから、必ず佐藤はこの2点で“標的”にされる。だから、手を切るべきというのが、麓と早坂の気持ちだった。

 また、佐藤とともに「手を切るべき」とされた小佐野については、田中とのカネをめぐる関わりの中で新たな問題が噴出しかねず、ヘタをすればこれが命取りになるとの危惧があった。この進言の返事に窮した田中は、数日してから二人にこう答えた。

 「佐藤は切れない。君たちには分からない事情もある。小佐野は“シャイロック”だ。あれはケチで、君らが心配するほどゼニなんか寄越しちゃいない。心配に及ばずだ」

 結局、受け入れてもらえないのならと麓は田中から去り、一方の早坂は秘書としてとどまることになった。

 ちなみに、田中は「小佐野はケチだ」と口にしたが、実のところ小佐野の“カネばなれ”については、こんなエピソードがある。

 料亭での座敷で、小佐野はチップの意味合いを含めて、芸者にキッチリ100万円の入った財布を渡すのが常だった。好きなだけ取れということである。芸者は「お言葉に甘えて」と何枚かの1万円札を抜き、財布を小佐野に返す。小佐野はあとで、何枚の札が残っているかを確認し、サービスに見合わぬ札を取った芸者は、二度と座敷に呼ばなかった。

 つまり、“採算”に見合わぬ商売はしないという小佐野の「哲学」が、遊び一つにも表われていたということである。

★「刎頸の友」にあらず

 さて、田中がいよいよ首相の座に就いたあと、先の麓と早坂、二人の秘書の心配は図星となった。

 政権2年目、雑誌『文藝春秋』に「田中角栄研究」が掲載され、田中は金脈問題とともに佐藤昭子との関係を天下にさらされることになる。これがもとで田中は、内閣総辞職に追い込まれるのだった。

 そして、この内閣総辞職から2年足らずで、今度はロッキード事件が表面化、この捜査の中で今度は小佐野の名前が出たのであった。

 ロッキード事件は、米国ロッキード社からのトライスター機の導入をめぐり、田中にロ社から5億円のワイロが流れたという疑惑で、結局、田中は逮捕されている。この事件のカネの流れは、全日空ルート、丸紅ルート、児玉(誉士夫)ルートがあったとされ、小佐野は交流のあった児玉の依頼を受け、田中への道をつけるため一枚噛んだのではないかと追及された。小佐野は国会での証人喚問を受けたが、核心に触れるような質問には「記憶にございません」を連発した。

 この事件の裁判は、田中が一審、二審とも有罪判決を受けたが、田中自身はなお「潔白」を主張、最高裁への上告のさなかの平成5年12月16日、自らの逝去をもって公訴棄却となっていた。また、一方の小佐野はすでに、昭和61年10月27日、田中より8年前に逝去していた。佐藤昭子も、今日、すでに鬼籍に入っている。

 田中にとって、小佐野という存在は何だったのか。田中をよく知る元田中派担当記者の、こんな述懐が残っている。
「かつて、佐藤から田中と小佐野の関係について、こう聞かされたことがある。二人は似た境遇の中で、泥水をすくいながら這い上がってきた。だから、互いにシンパシーは感じていたと思う。しかし、田中は言っていた。『ワシと小佐野の間は、世間が言うような刎頸の友ではない』と。命を懸けた友ではないということです。

 また、集めたカネについては、『田中は右から左、政治のために使っていた。蓄財という意識は極めて薄かった。対して小佐野は、やはり事業家として、カネは貯めるものとの意識が強かったと思う。二人は、生きる視点が違っていた。田中にとっての小佐野は、同世代を生きた同志、戦友的なものにとどまるのではなかったかとみています』と」
(本文中敬称略)

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【著者】=早大卒。永田町取材49年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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