【誕生!昭和40年】フジカシングル-8

2019/6/17 11:30 昭和40年男

1965年に発売されたのは、固定焦点で撮影コマ数毎秒18コマの8㎜カメラ『フジカシングル8 P1』というモデル。この他に映写機2機種とフィルム(カラーとモノクロ2種類)が用意された。さらに10月には、3倍ズームレンズ付きカメラ『Z1』も追加 1965年に発売されたのは、固定焦点で撮影コマ数毎秒18コマの8㎜カメラ『フジカシングル8 P1』というモデル。この他に映写機2機種とフィルム(カラーとモノクロ2種類)が用意された。さらに10月には、3倍ズームレンズ付きカメラ『Z1』も追加

昭和40年に生まれた、いわばタメ年の商品やサービスを我々の思い出と共に紹介する連載記事。今回は『フジカシングル-8』を取り上げる。マガジン式フィルムの採用で、より気軽に撮影できるようになった。

デジカメはもちろん、スマホやタブレットにまで当たり前のように搭載されている動画撮影機能。小学生の頃、まさかこんなに動画が身近なものになろうとは思いもしなかった。“動く自分”を見られるなんて、ほとんど夢の世界だった。運動会の後など、親が撮影したフィルムの上映会をする友達を羨ましく眺めたものだ。

当時、一般の人たちが撮影する動画と言えば、8mmフィルムだった。主に映画愛好者によるものだったが、1965年になるとフィルムをマガジン内に収めた方式が登場して家庭用としても普及していく。富士フイルムが発売した『シングル-8』もその一つで、8mm撮影を身近なものにした。しかし、この開発の影にはメーカー間の熾烈な競争があった。

同社では、東京オリンピック開催年には需要が増えると考えて研究グループを立ち上げ、63年には2軸を使ってフィルムを巻き込んでいくマガジン方式の規格採用を決めた。64年、カメラメーカーと契約に動き出すが、この時の名称は『ラピッド-8』であった。

マガジン方式をめぐる規格競争。「私も写せます!」が流行語に。

ところが、当時世界の8mm市場を独占していたコダックが、同じくフィルムをマガジン化すると発表。しかも、富士フイルムの規格に比べて1コマあたりの面積が広く、より高画質を狙えるものだった。その名も『スーパー8』で、欧州メーカーもこれに追随することを決めた。

これを受け、富士フイルムでは『ラピッド-8』を商品化しても国際標準になることは難しいと判断し、急きょ販売を延期。そしてフィルムサイズを『スーパー8』と同様としつつ、マガジンは『ラピッド-8』を活かし、フィルムの品質も向上した新規格『シングル-8』を開発する。これを65年4月に発売し、結果として富士フイルム、コダック双方からマガジンタイプの8mmが発表・発売されるという、エポックメイキングな年になったのだ。

『シングル-8』を家族ぐるみで使ってほしいという願いから、富士フイルムは主婦層をターゲットに定め、テレビCMには扇 千景を起用。「マガジンポン! 私も写せます」と語りかけて身近さをアピール。「私も写せます」は流行語にもなったという。もちろん、覚えている由もないが…。

覚えてるといえば、富士フイルムは75年に発売10周年記念事業として各地域で8mmフェアを開催している。筆者もこれに行ったような気がする。というのも、筆者の8mmへの関心度はこの頃から急激に高まっていた。日常の記録はもちろん、将来は映画を作ってやる!と思ったものだ。もちろん、子供がおいそれと手を出せるものではなかったが、8mmにはそう思わせる手軽さがあったのだ。

こうして広く普及した8mmフィルムだったが、やがてより高画質のVTRへと置き換わっていった。憧れのようなものだけを残しつつ。しかし今、動画の撮影はさらに身近になり、編集もパソコンで自在にできるようになった。

当時8mmフィルムに憧れた身としては、手作り感にはちょっと欠けるようにも思うが、日常の記録だけでなく、映画のような作品作りにもチャレンジしてみたい。同志はいませんか?

取材協力:富士フイルム

文:舘谷 徹/昭和40年7月、埼玉県生まれのライター・脚本家。広報誌やWeb記事、ドラマやアニメの脚本を執筆。プラネタリウムで活動する市民グループにも参加中

※【「昭和40年男」Vol.20(2013年7月発売号)掲載】

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