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【洋楽追想記】1981年『ジェシーズ・ガール』リック・スプリングフィールド

2019/6/5 12:00 昭和40年男

1981年『ジェシーズ・ガール』 リック・スプリングフィールド/原題は『Working Class Dog』で、“ワンちゃんジャケット”でもおなじみ。全米ナンバーワンに輝いた『ジェシーズ・ガール』の他、『エヴリシング・フォー・ユー』(8位)、『ラヴ・イズ・オールライト・トゥナイト』(20位)と、計3曲の全米ヒットを生んだベストセラーアルバム。キレのあるギターロックサウンドに乗り、ちょっぴりナイーブな男心をハンサム野郎が歌った途端、世界中の女子はメロメロになってしまった。 1981年『ジェシーズ・ガール』 リック・スプリングフィールド/原題は『Working Class Dog』で、“ワンちゃんジャケット”でもおなじみ。全米ナンバーワンに輝いた『ジェシーズ・ガール』の他、『エヴリシング・フォー・ユー』(8位)、『ラヴ・イズ・オールライト・トゥナイト』(20位)と、計3曲の全米ヒットを生んだベストセラーアルバム。キレのあるギターロックサウンドに乗り、ちょっぴりナイーブな男心をハンサム野郎が歌った途端、世界中の女子はメロメロになってしまった。

昭和40年女が黄色い歓声をあげたイケメンロッカー、リック・スプリングフィールド。キャッチーなポップロックヒット『ジェシーズ・ガール』は、女子だけでなく、男子も意外と口ずさんでいたのだ。

80年代前半の時代、我々昭和40年男に洋楽の魅力を教えてくれたテレビ番組といえば、小林克也の司会による『ベストヒットUSA』(テレビ朝日系)だった。81年にスタートした同番組は、日本ではMTVよりも先に放送を開始。ちょうど高校に入学し、洋楽の最新情報に飢えていた昭和40年男にとって、人気アーティストの動く姿を見ることができる貴重な番組だったのだ。

リック・スプリングフィールドというカッコいいロッカーの存在を、その番組で知ったという人は、きっと多かったと思う。僕自身も、高校生だった16歳の当時、全米で大ヒットしていた『ジェシーズ・ガール』のミュージックビデオを初めて見て、その存在を知った。確かにカッコいい兄ちゃんだとは思ったが、男なので別段トキメくようなこともなく(当たり前か)、それよりも、楽曲自体のキャッチーさが妙に耳に残ったのを覚えている。

今でいえば俳優の伊藤英明っぽい端正なルックスに加え、白のタンクトップからのぞく筋肉質な身体も評判で、女子から圧倒的な支持を得ていたリック。オーストラリア出身の彼は、72年にアメリカに渡りレコードデビューしたものの大したヒットに恵まれず、ルックスを買われて俳優業に転身する。そしてメロドラマ『ジェネラル・ホスピタル』で人気者となり、音楽活動を再開したところ、『ジェシーズ・ガール』が全米ナンバーワンの大ヒット。見事にスター・シンガーの仲間入りを果たしたのである。ミュージシャンでの成功を夢見たものの、先に俳優としてブレイクし、その後音楽で成功するという、日本でいえば福山雅治のサクセスストーリーを思い起こさせるエピソードだ。要するに、いつの時代もイケメンは得をするという、昭和40年男にとっては、ちょっぴりジェラシーを抱いてしまう話だが、この件は深く考えないでサラッと流すことにしよう。

さて、『ジェシーズ・ガール』でグラミー賞の最優秀ロックボーカルにも輝いたリックは、その後も順調にヒット街道を驀進。85年までチャートの常連であり続けたのだから、人気先行と言われたなか、立派な活躍だったし、硬派なギターロックを好んだ彼の姿勢には同性ながらも共感できるものがあった。なかでも、82年のヒット曲『ドント・トーク・トゥ・ストレンジャー』は、AORからの影響を感じさせる、洗練された仕上がりのポップソングで、僕個人としては『ジェシーズ・ガール』よりもお気に入りの1曲だった。そして、このヒットの翌年に行なわれた初来日公演での女子たちの黄色い歓声は、今にして思えば、このイケメンロッカーの日本における絶頂期だったといえよう。

ところで、この時代、昭和40年女たちが夢中になった洋楽スターといえば、他にどんな人がいただろう? ニューロマンティックブームから登場した王子様バンド、デュラン・デュランは、シーンに登場した当時、かなりアイドル人気が先行していた印象がある。また、僕のクラスメートのなかには、すでにベテランの部類に入る存在ながら、映画『戦場のメリークリスマス』への出演を契機に、ポップスターとして再浮上してきたデヴィッド・ボウイに夢中になっていた女子もいた。他にも、美男子デヴィッド・シルヴィアンを擁するジャパンやヘアカット100、カジャグーグーなど、挙げていくとキリがないが、彼らに共通していたのは、見た目のインパクトだけじゃなく、音楽的にも十分魅力的だった、ということだろう。

「ブリティッシュインヴェイジョン」といわれ、イギリスから新しいグループが次々と登場した80年代。その大半はゲイだという噂を真に受けて、一瞬たじろいだ昭和40年男も、音楽がおもしろければ、しっかり受けとめていたのだ。だからこそ、デュラン・デュランの『ハングリー・ライク・ザ・ウルフ』も、カジャグーグーの『君はTOO SHY』も、そのキャッチーなメロディが耳に残っていて、たまに口ずさんでみたくなる。

文:木村ユタカ

昭和40年、東京都生まれの音楽ライター。ロック、ソウル、日本のポップスなどを得意ジャンルに、音楽誌やCDのライナーに執筆。

※「昭和40年男」vol.26(2014年8月号)掲載記事

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