「どろろ」イタチ「頼む、俺に一度だけ、金を拝ませてくれ…」イタチの存在を巡ってネット盛り上がる18話

2019/5/20 09:45 エキレビ!

どろろBlue-ray BOXイメージイラスト どろろBlue-ray BOXイメージイラスト

アニメ『どろろ』(→公式サイト)。今日5月20日(月)22:00より、TOKYO MXほかで、第十九話「天邪鬼の巻」が放映される。
Amazon Prime Videoで毎話24:00頃から配信予定。

「無情」と「無常」


百鬼丸とどろろ。多宝丸の軍勢。イタチと野盗。しらぬいとサメ。
4つの勢力が入り乱れた今回。誰一人幸せになっていない回だった。
一応百鬼丸は足を取り戻し、どろろと再会できたが、後味はよくない。

タイトルに、スタッフのこだわりが見える。
原作のタイトルは「無情岬の巻」。「ああ無情」などで使われるこの語は、思いやりや人間らしい感情が無いことを指す単語。
イタチら野盗と、全くの第三者の代官(醍醐景光と関係はない)が熾烈な宝物争いを行う。百鬼丸とどろろしか生き残らない、財宝も見つからない、やりきれない結末だ。

アニメのタイトルは「無常岬の巻」。「諸行無常」の方。あらゆるものは変化したり滅んだりし、一定の状態ではいられない、という意味。
この語が特に当てはまるのは、多宝丸だ。今までの優しさを自ら封印し、民のために情を捨てて妖怪に刃を振るい、百鬼丸を殺すと誓う冷淡な人間に変貌している。彼は別に妖怪に心を乗っ取られたわけではなく、自ら悩んだ結果、道を選択している。

イタチは金を入手するために必死だった。ただ彼や野盗たちからは、私利私欲で動く残虐性は見られなかった。彼らは、武士たちに裏切られ、苦しみ、生きるために必死だった人間だ。
しらぬいは心から愛していた二郎丸・三郎丸を失った。彼が今回多くの人間たちを巻き込んで自爆したのは、人に対しての恨みと悲しみがパンクした結果だ。

今回の改変で、キャラクター個々に「情」はあふれるほどあった。
多宝丸は国を愛した。イタチは仲間を愛し、どろろにも情をかけていた。しらぬいは愛する家族のサメを失った。百鬼丸は自分にとってかけがえのない人として、どろろを迎えに来た。
しかし、みながそれぞれ自分たちの「情」を大切にした結果、沢山の人が死に、何もかもがだいなしになってしまう。
百鬼丸と船で脱出するどろろは、悲しむでも怒るでも笑うでもない、フラットな表情。無常を悟ったかのようにも見える。

愛すべきイタチ


正義も悪もない4勢力の中、ネット視聴者の間で盛り上がったのはイタチの存在だった。
初登場時から「憎めない」「小賢しい」オリジナリティの強いキャラクターとして登場した彼は、死に際になるほどに、さらにどこか共感できる人物になった。

彼の目的は、どろろの父親・火袋の隠した財宝。そのためにどろろをひんむくくらいには、悪党ではある。
その後彼は、どろろを縛って置き去りにした。このへんがもう甘い。どろろが何かを知っている以上殺しておくべきなのに、それはしない。
しらぬいが自爆した時は、イタチは身を挺してどろろを助けている。

イタチ「ど、どろろ……頼む、俺に一度だけ、金を拝ませてくれ……」
生き延びることを諦めて、最期の願いとしてどろろにつぶやいた言葉だ。
大量に蓄えられた金を見たイタチは、「俺の金……」といって息絶える。

そもそも彼はなんのためにお金を欲しがっていたんだろうか。死んでしまった今となってはもうわからない。
ただ、命をかけてでも宝を探そうとする執念、「俺の金」と言ってしまうずるさ、見つけること自体が目的になっている逆転感、幼い頃から見ているどろろは守ってやりたいという親切心など、やたらと人間臭い部分が、彼の言動に詰まっている。

彼は宝に手を伸ばし、届かなかった。
百鬼丸が身体を取り戻そうとしているように、多宝丸が国を守りたいと願うように、イタチはイタチなりに幸せを、人生の目的を追い求めただけだ。

イタチがどろろの命を救い息絶えるまで、財宝発見の1カット以外、カメラはずっとどろろの表情をあえて隠したアングルで映している。
百鬼丸と合流したどろろが、財宝からほんのちょっとだけ軍資金をくすねるシーン。イタチが「賢いものが生きる」とどろろに言い続けていたのは、こういうところにきちんと生きているのだろう。

百鬼丸、思いを表す


最序盤のシーン。どろろと離れ離れだった百鬼丸が、彼女の頬を両手て包みながら、おでこをくっつけている。
これにはどろろもびっくり。
なんせ今まで百鬼丸は、「どろろは側にくっついている何か」程度の認識で動いている部分があったからだ。
どろろは百鬼丸に自分の気持ちをあれこれ言っているが、百鬼丸側からのリアクションはほとんどなかった。

おでこをくっつけるのは、17話で百鬼丸が育ての父・寿海にしてもらった行動だ。
百鬼丸はどろろに、大切な人のことを「おっかちゃん」と呼ぶことを学び、寿海にその言葉を発した。
今回はその逆。大切な人・寿海にしてもらったことを、大切な人・どろろにすることで、感情を表現しようと試みている。

彼は無感情ではない。
身体を取り戻してからは色々な痛みを理解したことで、人の気持ちがわかるようになった。ただ、自分の中に生まれた心を表現する手段、言葉や行動、表情の作り方を全く知らない。
学習の対象は、常にどろろ。赤子が母親のマネをするのと同じ。
一旦どろろを離れたことで、やっとどろろに対しての、自分から感情を表現できた。

今回のことで、百鬼丸がどろろを、大切な人間だと感じているのが十分表された。
百鬼丸は自分について問答し、考える時間があった。
ここから先はどんどん、感情を言葉で、行動で見せてほしい。身体が戻るほど、表現の幅も増える。
エンディングのぼやけた影が、少しずつ形になってきているのも、身体と心を取り戻しているのを反映しているかのよう。もうだいぶ、何が映っているか見えている。

(たまごまご)

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