映画監督・松居大悟に聞く「作品選びの基準は、相手と一緒に死ぬ覚悟が持てるかどうか」連載:大人の学び 第11回

2017/11/21 12:00 ネタりかコンテンツ部

私たちは、日々何かを企画しながら生きています。

新しいイベント、月末の旅行のプラン、今日の晩御飯のメニューetc……。仕事はもちろん、日常生活の中でも「企画」をする機会は訪れます。だからこそ、企画を特別なものとして距離をおくのではなく、自分の人生をちょっと良い方向に変える手段として捉えてみる。そうすることで、少しずつ変化は起きていくのかもしれません。

 

「自分はこれから何をして生きていきたいか」、「自分はこれからどんな世の中をつくりたいか」。これらをテーマに、コピーライターの阿部広太郎さんが主宰する講座が「企画でメシを食っていく」(通称・企画メシ)です。

 

各業界の現場の第一線で活躍される方たちをお招きして「企画」の捉え方・考え方について伺っていく企画メシ。こちらの連載では、「大人の学び」をテーマに、自分の人生を企画していくためのヒントをお届けしていきます。

 

今回のテーマ:「映画」

 

話し手(写真左):松居大悟

1985年生まれ、福岡県出身。ゴジゲン主宰、全作品の作・演出・出演を担う。2009年、NHK「ふたつのスピカ」でドラマ脚本家デビュー。その後、初監督作『アフロ田中』(12年)をはじめ、『男子高校生の日常』、『自分の事ばかりで情けなくなるよ』(ともに13年)『スイートプールサイド』(14年)『ワンダフルワールドエンド』、『私たちのハァハァ』(ともに15年)『アズミ・ハルコは行方不明』(16年)と次々に作品を公開。クリープハイプやチャットモンチーや銀杏BOYZのMVも手がけている。

 

聞き手(写真右):阿部広太郎

1986年生まれ。2008年、電通入社。人事局を経て、コピーライターに。「世の中に一体感をつくる」という信念のもと、言葉を企画し、コピーを書き、人に会い、つなぎ、仕事をつくる。東京コピーライターズクラブ会員。宣伝会議コピーライター養成講座「先輩コース」講師。

世の中に企画する人を増やすべく、2015年より、BUKATSUDO講座「企画でメシを食っていく」を立ち上げる。初の著書『待っていても、はじまらない。―潔く前に進め』(弘文堂)を出版。今回お招きした松居大悟監督は、大学のクラスメイトでもある。

 

※本連載は、BUKATSUDO講座「企画でメシを食っていく」(通称・企画メシ)における講義内容を、対談形式に再編集したうえで一部内容をネタりかにて補足したものとなります。

企画メシ:http://kikakumeshi.jp/

大人のための街のシェアスペース・BUKATSUDO:http://bukatsu-do.jp/

 

学生演劇は、舞台をやる側のほうがお金を払うような純粋な熱量の世界だった

阿部:本日は宜しくお願いします。まず最初に聞かせてください、松居監督が演劇の世界に入ろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか。子供の頃からそういう世界がお好きだったとか?

 

 

松居:いえ、中学から高校にかけては漫画家になりたくて、ずっとギャグ漫画を描いていました。でも持ち込みをしたときに編集者さんから「こういうのは芸人さんがテレビでやってるから、漫画でやる必要ないよね」と言われてしまったんです。

それで芸人を目指すことにしたんですが、M-1の1回戦で何度も敗退して。そこから「どうして負けたんだ?」というのを自分なりに分析した結果、「足りないのは演技力だ!」という結論に至ったんですね。

だから大学では演技力をつけようと考え、入学と同時に演劇サークルに……というのが、僕が演劇をはじめた経緯になります。

 

阿部:M-1の1回戦敗退がきっかけで演劇を……。そこからはもうお笑いではなく演劇の世界にどっぷりと?

 

松居:はい。大学で「創像工房 in front of.」というサークルに入って演劇をはじめたら、漫画を描いてた時や芸人をやってた時よりも、すごく楽しくなって。ただ、ルーツはやはりギャグやお笑いにあったので、自分で初めて企画した舞台は『かけぬけない球児』というコメディでしたね。

 


▲2006年公演『かけぬけない球児』:http://www.5-jigen.com/stage/2006_05.html

 

松居:“甲子園出場を決めた夜に、球児たちが部室で酒を飲んで乾杯しようとしたら、警察に包囲されてしまう”という内容の、いわゆるシチュエーションコメディでした。高校球児たちがユニフォームを着て汚い部室にいる様子っていうのが、自分的にはもう見てるだけでわくわくするなと思って。

 

阿部:劇団内の熾烈なコンペみたいなものを勝ち抜いた末に実現した企画だったのでしょうか?

 

松居:いえ、違います。当時の創像工房は100人以上が在籍する演劇サークルだったんですが、各企画に対して希望者がそれぞれ手を上げて自由に参加する、という独特のシステムを採っていたんですね。

だから、まずは演出をやりたい人や企画を作りたい人が「こういうタイトルでこういう劇をやりたいです」というのを発表し、それを見て面白そうだと思った人や一緒にやろうと声をかけた人でキャストとスタッフを編成して……という感じで企画が進んでいくんです。

 

阿部:面白いシステムですね。

 

松居:当時は3月・5月・10月・12月に、だいたい2本ずつぐらいの企画が立つようなサイクルで回っていました。もちろん基本は3,4年生中心で、その劇団のエース級ばっかり集まっているような企画も多いんですが、僕は初めてだったので1,2年生ばかりの若手企画みたいなのを立ち上げて。

「照明お願いしたいんだけど」とか「チラシやってくれない?」とか、とにかく周囲に声をかけて仲間を集めながら、舞台を実現させました。

 

▲松居監督の所属していた「創像工房 in front of.」http://www.sozokobo.com/

 

阿部:まさに手作りで実現していく企画ですね。周りの人からの反響などはいかがでした?

 

松居:その当時はとにかく必死だったので、反響とかはよくわからなかったのですが、「今、日本で一番面白いものをやってるのは、俺たちだ!」みたいな気持ちでは常にいましたね。僕が今やってる劇よりも思い入れは強かったかもしれない。

だって本当に参加者の「思い」だけでやっている企画だから、そもそもの熱量が違うんです。美術や道具とかも全部、学生が一生懸命自分で作るんですよ。しかも不思議なことに、舞台をやる側のほうがお金を払うっていう。

 

阿部:学生演劇ならではの状況ですね。

 

松居:企画者が50000円出します、役者30000円出します、スタッフのチーフ10000円、スタッフのサブ8000円……という感じでみんなのお金を集めて、どうにか予算ができる。それでいてチケット料金は500円とか800円とかなんですね。だから回収なんて絶対できるわけがないんですよ。

つまり観客は「喜んでくれる役」としての参加者であって、自分たちは50000円払って2か月間の思い出を買う、みたいな仕組みになってるわけです。

今考えると、すごく異常な状態(笑)。でも、だからこそプロでやっているとよくある「もう予算無いからこれ以上は無理だね」という類の妥協が一切ない。自分たち次第で、ある意味どこまでもやれちゃうんです。

 

阿部:「やりたいからやっている」という前提があるからこそ、自分たちでお金を負担してでも妥協の無い舞台を実現させ、お客さんに楽しんでもらう。確かに社会人になってからでは、なかなかできないやり方だと思います。

そして松居監督はこの初めての企画がきっかけで舞台の魅力に完全にハマり、劇団中心の生活へとシフトしていくことになるんですよね。

 

松居:はい。2008年に「ゴジゲン」として創像工房からも完全独立し、その活動は現在に至るまで継続しています。結局大学には2留1休で7年間いました。逆によく卒業できたなって、自分でも思いますよ。(笑)

 

脚本、演劇、映画。何が一番いいのかわからないまま、もがき続けるしかなかった時期

 

阿部:その後監督は2009年にNHKドラマ『ふたつのスピカ』で、最年少の脚本家デビューを果たされます。この頃は、将来は脚本家になりたいと考えてらっしゃったんですか?

 

松居:いや、その頃は就活で全部落ちちゃって、「もう自分にはこれしかない」と思って脚本を書いていたんですよね……。

たまたま知り合った制作会社のプロデューサーさんに、「将来もの作りで食っていきたいです」みたいなことを言ったら、「各テレビ局でドラマの企画って毎クール募集してるから、そこで通れば脚本家になれるよ」と教えてくれて。“だったら自分は毎クール10本企画書いて絶対通してやるぞ”とか思って、応募をはじめたんです。

 

阿部:毎クール10本の企画書ですか? すごい量ですね。

 

松居:キャラクターとあらすじが書かれた5,6ページぐらいの企画書をいつも作っていましたね。そして3クール目の挑戦で、NHKのドラマの最終候補に残ることができたので、そこから全8話分の脚本と構成案を一気に書いて提出したんです。

ただ、その当時の僕は脚本の書き方とか全く知らなかったので、『サマータイムマシン・ブルース』という一番好きな作品のDVDを買い、それを文字起こししながら「脚本ってこう書けばいいのかな?」みたいに推測で作品を書いて提出をしていました。いや、自分でもそれでよく通ったなと思いますよ。

 

阿部:なるほど。最初はまず手探りで量産してぶつけるという企画の通し方だったんですね。それにしても「最年少の脚本家デビュー」っていうのはすごい肩書きですよね。周りからも相当騒がれたんじゃないですか?

 

松居:いや、それが全く。留年していたので周りの友達はみんな卒業していたうえに、僕自身の中でも「演劇やってるくせにこそこそドラマの脚本書いてたのかよ」みたいな、どこか浮気してるみたいな気持ちが強くて……。だから自分では何も言えないうちに、気づいたらドラマの放送は終わっていた、という感じでしたね。

もちろん「これからは仕事いっぱいもらえるぞ!」みたいな気持ちは正直あったんですが……全然でしたね。ここから1年くらいずーっと、一応もの作りの仕事ではあるものの、いわゆる名前の出ない仕事ばかりをやっていました。

 

阿部:なるほど。その道に足を踏み入れはしたけど、なかなかその次の仕事が来ず……。

 

松居:そうなんです。脚本家デビューした後しばらくは、本当に生活のためだけに書いてましたね。それもあって、脚本とは別に年に2,3本はちゃんと「ゴジゲン」で劇をやろうと。その頃の自分にとっては、それが一番大事なことだと思いながらやっていました。

 

▲ゴジゲンの公式ページ:http://www.5-jigen.com/index.html

 

阿部:劇団のほうは順調に成長していったのでしょうか?

 

松居:それがですね……。劇団の公演というのは、基本的に「これぐらいお客さんが入りそうだから、これぐらいの規模の劇場でやる」という考え方で続けていくものなんですが、僕の場合は早く売れたいが先行して、劇場を決めるときは「とにかく前回よりも大きな劇場を取る」というのを自分の中でルールにしていたんですね。

 

阿部:ということは、公演を重ねるたびに劇場が大きく?

 

松居:そうなんです。普通に考えて公演のたびに確実にお客さんが増えるかっていうと、そんなわけないですよね。でも、先に大きな劇場を取ってしまうと、もうその客席を埋めるためにあらゆることをするしかなくなるじゃないですか。お客さんを呼べるようなキャストを揃えたりとか、とにかく宣伝をしたりとか、ほんといろんな作戦を立てて実行して……。

だから、当時のゴジゲンは「どんどん売れてる感」自体は確かにあったのですが、やればやるほど劇団としては赤字になっていたんです。スタッフも学生からプロに代わっていましたしね。

ただ、それでも自分の中では「焦り」の気持ちのほうがはるかに強かったから、もう「自分が手持ちで出すから何とかしよう」と言って、ずっとそれを続けていました。

 

阿部:監督の手持ちで……。では当時は、脚本で稼いだお金は全部劇団に投入し、また広い劇場を借りて、というサイクルを繰り返していたんですね。

 

松居:はい。とにかく動員数を下げたくなかったんです。成長しているという実感を持ちたかったというか、演劇界でちょっと勢いのあるところを示したかったというか……。まぁ、言ってみれば全部が嘘なんですけどね。客が入ってるから舞台って大きくなるはずなのに、客が入ってないのに舞台だけ大きくなるっていうのは、本来有り得ない。

 

阿部:監督のお気持ちとしても辛いところでしたでしょうね。

 

松居:ただ、そうやって“大きくなってる感”を見せているうちに、僕の商業映画デビューとなる『アフロ田中』という作品のプロデューサーが公演を見に来てくれて。

 

 

松居:実はその頃の僕って、劇団やりながらゴーストライターやりつつ、さらにみんなに内緒で自主映画も撮っていたという、本当に表現者としては節操のない生活をしていたんですね。映画のオファーがきたのも、機材とかをサークルの先輩に借りて撮ったような自主映画で、沖縄の映像祭でたまたまグランプリを獲ることができたからであって……。

自分にとって何が一番いいのかというのがわからないまま、とにかくいろんな可能性に手を伸ばしていたというだけの時期だったんです。

 

阿部:でも、そういうところをちゃんと見てくれてる人がいたからこそ、25歳での松居監督デビューにつながるわけですよね。

 

松居:はい。ただ最初は本当に現場がキツかったですね……。

そもそも映画の現場というのは、基本はたたき上げのスタッフばかり。監督は助監督からコツコツやって出てきた人とか、自主映画でいっぱい賞取って出てきた人とか、まぁなんというか「映画の人たち」だけが集まるような場所なんですね。

それなのに、僕の場合はいきなりプロデューサーが引き抜いて監督にしてくれたおかげで、全くの初心者であるにもかかわらず現場の責任者になっているわけです。しかも制作会社側が、「初心者の監督でも大丈夫なように」という配慮からか、カメラマンや照明さんその他スタッフ全員を、結構なベテランの方でずらっと揃えてくれて……。

 

阿部:リーダーであるはずの監督が、一番何もわかっていないという現場だったわけですね。

 

松居:はい。そういう現場だったから、監督として僕が「こういう風にしたいです」って言っても、「普通それはやらないけどね」と返されてしまうことが普通にありました。そして、そんなことを繰り返してるうちに、スタッフは誰も僕の言うことなんか聞いてくれなくなって……。

ただ、幸いなことに演劇はずっとやってきたので、お芝居の演出だけはできたんですね。だから、俳優さんに対しての「ここはもっとこういう演技で」というコミュニケーションは続けられていました。そのおかげで、僕と同い歳で主演の松田翔太君が、スタッフに僕がぼこぼこにやられてるのを見かねてか、現場で「監督のやりたいことをちゃんとやろうぜ」って言ってくれて……。

映画では主演の俳優さんが座長なわけですから、座長が言ったらスタッフはみんな従う。それでマジで救われたんです。

 

阿部:かっこいいですね。松田翔太さんのおかげで現場が1つにまとまり、作品も無事に上映まで至ったわけですね。

ただ、そうやって紆余曲折を経て完成した映画では「松居大悟監督」というクレジットも大々的に出たわけで、今度こそ周囲からの大きな反響があったんじゃないですか?

 

松居:反響はすごかったですね。ドラマのときとは全然違いました。まさに手のひらを返すようにというか、ほとんど知らないような人たちからもいっぱい連絡がきました。「佐々木希、紹介してやー!」とか、そういう地元ノリみたいなやつも。もう嬉しいとかではなくよくわからなかったですね。

 

クリープハイプとの出会いを通じて得られた「自分のやりたいことを仕事でやってもいいんだ」という自己肯定感

 

阿部:チャンスを掴むためにいろいろもがき続けていた感のある監督でしたが、『アフロ田中』での商業映画デビューによって、気持ち的に満たされることはできたのでしょうか。

 

松居:それまでは制作会社にいくら企画書を提出しても、ほとんど見向きもされなかったんですね。それが当たり前だったのに、映画公開後は突然向こうのほうから「何か企画やろうよ」って言ってくれるようになった。

自分としては、そういうのが腑に落ちなくて、うまく調子に乗れませんでしたね。そこまでが結構辛かっただけに、簡単には周囲を信用できなくなっていたというか。

それもあってか、信頼してずっと一緒にやってきた演劇の人たちや、一緒に汗かいてきた人たちを大事にしようと強く思うようになりました。

 

阿部:そういう信頼できる仲間の1人が、ロックバンド「クリープハイプ」の尾崎世界観さんになるわけですよね。

 

松居:はい。僕のターニングポイントって世間的には『アフロ田中』の公開になると思うんですが、自分にとってのそれは尾崎くんとの出会いでした。

 

▲クリープハイプ公式サイト:http://www.creephyp.com/

 

松居:というのも、それまで僕は企画を出すときは「こういう内容のほうが通りやすいんじゃないか」という傾向と対策みたいなものをずっと考えていたんですね。

脚本も、自分がずっと男子校で、結構モテない感じでやってきたから、そういうのしか書かないようにしていました。映画も含め、物語がそっちの方向しか書けないというか、自分にはそれしかできないと考えていたというか。

「自分のやりたいこと・好きなこと」というのは商業では無理なものであり、演劇としてこっそりやるもの。だから、「お仕事はお仕事でやろう」というのをわりと徹底していたんです。

 

阿部:でも尾崎さんからは、“監督のやりたいことを100パーセント、120パーセント表現したようなミュージックビデオ(MV)を作ってほしい”というオファーが届いたんですよね?

 

松居:そうなんです。しかもクリープハイプのメジャーデビュー曲である『オレンジ』という曲のMVの製作依頼だったんですね。責任重大じゃないですか。だから、最初に提出した絵コンテは、めちゃくちゃ気を遣ったやつでした。“白いスタジオで歌っていたら、オレンジの光が差してくる”みたいな、本当に普通に無難なやつ。

でも、それをみた尾崎くんからは「これじゃない! もっとゴジゲンでやってたみたいなやつがいい!」と強く言われて。それを聞いたときは、嬉しいとか驚いたとかではなく、とにかく「そんなの、本当にいいのかなぁ?」という戸惑った気持ちになりました。「自分の好きなものを、仕事としてやってしまっていいのかなぁ?」という不安が、当時はとにかく強かったんですね。

それでも最後は、「依頼者を信じてやってみよう」と。好きな人と仕事ができるというのは嬉しいことでしたし、とにかくやりたい放題やってみようと、上手く開き直ることができました。

 

阿部:そして完成したのが、こちらのMVですね。

 

 

松居:ご存知のように、クリープハイプはメジャーデビュー後すごく売れ、ファンや世間からのリアクションもすごく強いアーティストになりました。もちろんそれは曲が強かったからというのが大きいのですが、結果としてMVも多くの人に見てもらったことで、何というか自分もすごく救われた気持ちになったんです。

自分が好きだと思うものがちゃんと売れたことで、「やりたいことをやっていいんだ」という気持ちに自分自身がなれたことが、とにかく嬉しくて。だから、僕はここから変わっていくことができた、という気持ちがすごく強いんですよね。

 

阿部:「自分がやりたいことをやっても、ちゃんと結果は出せる」ということを確認できたわけですね。

 

松居:『オレンジ』に続く2ndシングル『社会の窓』ではさらにやりたいことをやったというか、MVとは別に、ドキュメンタリー・ショート・ムービー『あたしの窓』を作成して初回限定版DVDとして収録する、ということまでやっちゃいました。

 

 

松居:ただ、こういうのは1人では絶対にできないことなんです。舞台で関係を築けたスタッフの人たちがいて、一緒に戦ってくれたからこそ実現できた。そして、音楽業界で同じ志というか同じ思いの仲間である尾崎くんに出会い、彼自身からやってくれと言われたからこそできた。

当時は本当にMVを撮る予算というのは限られていたのに、それでもショートフィルム的なものを作ろうという取り組みに僕が踏み切ったことで、スタッフの人たちの負担は相当大きくなってしまったと思います。

 

阿部:ただ、それは松居監督が「やろう」と言ったからこそ、実現できたわけですよね。それこそまた持ち出しをするつもりで呼びかけたんじゃないですか?

 

松居:もう癖ですね(笑)。やりたいことが溢れ過ぎて、いろんな実験を詰め込みながら、それでも自分の「好きだ」という感覚を素直に表現しようと思って。本当に、よく作品として最後まで形にできたなと思います。

 

阿部:監督とクリープハイプの取り組みで新しかったのは、2013年に発表された『自分の事ばかりで情けなくなるよ』というアルバムのMVを単なるMVとして終わらせるのではなく、作品として映画にまでつなげていったことですよね。

ずっと一緒にMVを撮り続けるという関係性を前提としつつ、それをひとつなぎにして最終的に映画にしようという矢印を作ったのが僕はすごく発明だったと思いますし、実際当時は相当話題になったじゃないですか。

そういうのは、表現者としていろんな世界を見てきた監督だからこその取り組みだったんだなぁと感じました。

 

 

松居:クリープハイプの曲に物語性があったからというのはもちろんですが、やっぱり最初に同封したDVDがすごく話題になったのが大きかったですね。レコード会社のほうから「ちゃんと予算出すから、次もやってよ」と言われて続きを作った結果、「じゃあもっと出すから映画にしよう」と言ってくれるようになったんです。

それこそ最初は僕が無理矢理作ったショートムービーだったのに、お客さんの反応のおかげでレコード会社の上の人がちゃんと動いてくれて。そういう積み重ねがあっての映画化だったから、すごく励みになったんです。

 

阿部:監督が自分の好きなことをやりはじめたからこそ、いろんな人が巻き込まれていき、それが次の形へとつながっていったことで、「やりたいことをやってもいいんだ」という確信が持てるようになったわけですね。

 

松居:本当にそうです。もうその頃は一心同体になっていたというか、とにかくクリープハイプが売れれば売れるほど、自分も嬉しかったですね。

 

好きなアーティストの作品だからこそ、相手に寄り添わない、絶対に音楽に負けない映像を作りたい

阿部:監督はクリープハイプ以外にも多くのアーティストのMVを手がけられていますが、それらは自分なりの方法論的なものに基づいて製作されているのでしょうか。それとも、1つ1つ相手と話し合いながら細部を決め、製作されているのでしょうか。

 

 

松居:作品にもよるのですが、基本的に僕はクリープハイプから入ってしまったので、もう作品として好きと思えるものじゃないと作れないんですね。だから、自分がちゃんと前のめりな姿勢でやれるものだけを作るというか、絶対にアーティストに寄り添わないようなものを作るというか……。

たぶん、普通はMVってアーティストに寄り添って作るものだと思うんです。いかに演奏をかっこよく見せ、歌詞の内容が伝わるように作るかが大事というか。でも、何というかそれは、自分のやる仕事ではないと思っていて。実際、僕よりもっと上手くやれる人はたくさんいるわけですし。

 

阿部:あえて寄り添わないからこそ、松居監督としてのMVとなる。

 

松居:そうですね。僕の場合、音楽を聴いて「好きだ」とか「いいなぁ」とか思ってしまうと、音楽に対して負けてしまったというか、すごく悔しいという気持ちになるんですよ。

だって、かっこいいじゃないですか。演劇や映像でどんなに一生懸命物語を作ったとしても、音楽ならその何分の一にも満たない時間で人の気持ちを掴むことができるし、ずっと人の記憶に残り続けるし、感情自体をメロディーにできたりもするし。

だから、例え自分が大好きだと思った曲に対してであっても、音楽に絶対負けないような映像を作りたいというのは、常に意識してしまうんです。

 

阿部:すごいですね。映像は音楽に追随するものではなく、ぶつかりにいくものだと。

 

松居:曲を聴いて「これ、いいな」と思った感情に従って、曲にぶつかっていくような物語を作ろうというか、「この音楽に勝つためには、どういう映像がいいのか」から考えるような映像作りですね。

そういう「俺はこう感じたけど、君はどうだ?」みたいな映像でいきたいという僕の意志が、MVについては毎回根っこにあるんだと思います。

 

阿部:そういう監督なりの解釈を、紙に書き、言葉にして、アーティストに打ち合わせでぶつけるわけですね。

 

 

松居:そもそも僕にオファーをくれる時点で、誰に頼んでもいいやと考えてるわけではないと思うんです。だからこそ、自分とそのアーティストの掛け合わせじゃないと生み出せないような映像は何かっていうのを、とことん考えるようにしています。

技術的には他の監督に圧倒的に負けてるというか、それ専門でやってる人のほうが上手いに決まってる。僕が勝負できるのはそこではなく、物語を作っていく中で、音楽に対して嫉妬しながら、“自分の全部を出さなければ勝てない”という気持ちで毎回やっているところだけ。だからこそ、こういう作風になっているんだと思います。

 

阿部:いわゆるMVの一般的な手法論というか、起承転結のルールというか、そういうものは一旦置いといて、とにかく自分なりの表現をぶつけようとしているわけですね。

 

松居:それで言うと僕は、どの世界の表現も「勉強」をしてないんですよ。映画の作り方も、原稿の書き方も、劇の作り方も、その他全てにおいて方法論というものを知らないんですよね。

あと、映像に関する脚本やプロットを書くのが、実はほんとに苦手で。単純に、自分の頭の中にある最高に面白いイメージというものが、言語化されることでどんどんつまらなくなっていく。そういう「言葉にするの嫌だな」と思うストレスはけっこうあるんですよ。

 

阿部:映像イメージを文字化することで失われてしまうものは、確かにあるかもしれません。

 

松居:だから、「絵から表現を作る」ということが、僕の場合は多いですね。

何かテーマを決め、「この絵なら勝てる」みたいなイメージが4つぐらい浮かんできたら、その絵を掘り下げていくというアプローチです。「この絵の、この人は何してるんだろうな」などを掘り下げることで話を組み立てていくというか、ポイントを決めてから筋道を作っていくというか。まずは4コマぐらいの絵を作ってから、ストーリーを作るようなやり方です。

後で知ったんですが、北野武監督もそういう作り方をしてるらしいんですね。だからたぶん、作り方としては間違ってないと思います。(笑)

 

映画製作は「この人となら墓場まで行ける」という覚悟を持てる相手としか、一緒に仕事はできない

 

阿部:監督はコンスタントに映画作品を発表され続けていますが、それはやはりすごいことですよね。映画監督の方はたくさんいらっしゃいますが、続けて作品を出していくことって本当に難しいじゃないですか。

 

松居:コンスタントに作品を発表することで、周囲からは「順風満帆ですね」とよく言われるんですが、気軽にそう言われることに対しては正直腹が立ちます。公開される作品の何倍もの企画がボツになっていく中で、「これは自分がやらないと死ねない」という企画が、ふっと出てくる。そういう熱量がある企画は通る、だからやる、結果としてコンスタントになる。

でもそれらは、全部そういう“死ぬ気の熱量”のやつなので、やってて全然ラクじゃないというか、まぁマジでキツいんですよ。僕もできるなら5年に1本作るくらいのおしゃれな監督になりたいですけど、それはさすがに不安でできない(笑)。それでも現在の仕事量は、気持ちが続くからできてるだけだと思います。

 

阿部:映画製作について監督が重視されるのは、どういう部分になるのでしょうか?

 

松居:僕個人の仕事としては、劇も映像もやりたいし、好きなアーティストのMVもやりたい。その中で、映画について言えば、「どういうプロデューサーとやれるか」が一番重要だと考えています。

映画というのは総合芸術なので、そのプロデューサーともなると最低2年は一緒に関わる人になるんですね。だから、「この人と一緒になら墓場まで行ける!」みたいな覚悟を持てる人との仕事じゃないと、無理なんですよ。

もちろん、そういう人と一緒にものを作ることができるというのは、僕にとってすごく幸せなことでもあるんですが。

 

阿部:必要なのは、“墓場まで一緒に”の覚悟ですか。

 

松居:例えばある作品では、諸事情から出資会社が降りまくってしまったんですね。キャスティングまで既に決まってるのに、お金が全く集まらない。当然プロデューサーの人と2人で「やばい、どうする、どうする」となって。

でもその人は「自分はもう会社をクビになってもいいから、この企画を実現させたい。もしクビになって会社もこの企画をやらないとなったら、自分がフリーのプロデューサーになって出資金集めて、松居さんの自主映画という形での公開になってもいいから、絶対に最後までやりたい!」と言ってくれたんですね。

そのとき、「この人は信じられるし、絶対にこの人と一緒にこの作品を成立させたい、降りた人たちを見返してやりたい」と心底思えて……。そこからはもう本当に一緒にいろんなところに行ってとにかく頭を下げて、どうにか出資金をかき集めて、完成まで持っていくことができました。

 

阿部:そういう覚悟を一緒に持てる人と作品を作っていきたい、ということですね。

 

 

松居:もちろん何かを作る以上は、題材が面白いものや自分の感性と似てるものでやりたいという気持ちはあります。ただ映画に関して言えば、付き合う時間が長いからこそ、“絶対に最後まで一緒に戦える”という人とやりたいんです。

どれくらい予算や権力を持っているかというのはあまり重要ではなく、自分がこの人と一緒に死ぬ覚悟が持てるかどうか。それぐらいの人じゃないと、映画で何か一緒にというのは無理なんです。

そもそも総合芸術はコミュニケーションの積み重ねで作られていくものなので、1人を信じられなくなると誰も信じられなくなる。そうなると、作品は絶対にいい方向にはいかない。仮にそういう作品が大ヒットしたとしても、それはもう自分に嘘をついて作ったものだから、思い入れも持てなくなってしまうんです。そんなのは絶対やりたくない。

 

阿部:信じられる人と一緒に、信じられるものを作りたいという気持ちが、すごく伝わってきました。やはりどんな仕事においても、人との出会いというのは本当に重要ですね。

 

松居:そういう意味では、僕は出会いには恵まれていると思います。先ほどの例であげたプロデューサーの人なんかは、作品の中身に関してはぐいぐい突っ込んでくるタイプなんですが、外側を説得できないというか、カネ集めが本当に下手なタイプ。(笑)

でも原作となった作品に対し、僕と2人ですごく共感していたというか、何か「自分たちがやらなきゃいけない感じ」をお互いに持っていたんですね。そういう言語化できない部分を共有できていたからこそ、いろいろ大変な状況でも最後はきっと形にできる、と信じ続けることができました。

 

阿部:きっとどうにかできると思えているからこそ、最後まで折れない。

 

松居:そうなるためにどうすればいいかというと、やっぱり人を大切にしようっていうシンプルな結論になると思います。あとは、嘘をつかないこと。嘘つくような人とは絶対にやらないようにしてます。

もちろん僕も20代前半の必死だった頃は、それこそ何でもやっていました。ただ、最近ではどうにか「そういうことで苦しくなるぐらいなら、やらなくていいか」というぐらいには、思えるようになってきました。だって、どれだけしんどくても、信じられる人と一緒にものを作るほうが楽しいですからね。

 

阿部:そのしんどさすらも、楽しさに変えることができますよね。

 

松居:僕の作品に出演してくれた女優の蒼井優さんが、「松居監督にはこれからどうなってほしいですか?」という記者からの質問に対し、「とにかく続ければ飛距離なんていくらでも伸びるんだから、飛距離なんてどうでもよくて、最初の入り口の気持ちだけは絶対に忘れないでほしいです」というような回答をしてくれたことがあったんですね。それ、すごくいい言葉だと思っています。

やっぱり、辛いときやどうしようもないときに支えてくれた人たちというのは、絶対に忘れないですよね。仕事なんて何十年も続けられていれば普通に立場は上がっていくわけですが、そうなってから急に寄って来た人というのは、信じられる人ではありません。

やはり数字とかではないところで支えてくれたり、感情で動いてくれたりした人たちっていうのが、本当に「信じられる人」だと思うんです。

 

阿部:時が経てば環境も変化していくものですが、強い信頼関係というのは絶対に何かにつながりますよね。外側に綺麗に見せるだけではもう絶対に通じない、真ん中に何かを残さないといけない時代になってきていると思います。

 

この「激しい怒り」の気持ちが自分の中から消えないうちに、作品として形にしたい。その思いから生まれた最新作の発想

阿部:監督は、困難な局面に陥ってもそこをどう面白く変えられるか、というのを常に意識し、作品作りに取り組まれている方だと思います。最新作の『アイスと雨音』も、かなり困難な局面から生まれた作品ですよね。

 

 

松居:出資会社が降りまくったり、キャストが急に降りたり、僕の作品は「敗北」からはじまる場合が多いんですよね。

今回の『アイスと雨音』は、今年の3月に劇場公演を予定していた舞台があったんです。それが1月下旬の稽古入り直前に、「採算が合わないから」みたいな理由でいきなり中止を告げられて公演ができなくなったんですね。

 

阿部:キャストはもちろん、会場なんかも随分前からおさえてるでしょうし、その時期だともうチラシもかなり撒いてますよね……。

 

松居:そうなんです。しかも作品で表現しようとしていた内容的に、キャストは全員若く、これが初舞台というような子たちばかり。もちろん数字だけで考えれば“名前が弱い”というのはあるかもしれませんが、そこは僕たちが宣伝を頑張れば何とかなる範囲かもしれないわけです。

ただ、そんなことより何より、「初舞台だけど頑張ります!」と言ってくれたキャストの子たちの気持ちと将来。この子たちはこの舞台によって人生が変わるかもしれないのに、この段階になってそれっていうのはどうなんですか、という怒りがすごく湧いてきました。

でも、そういう思いを担当者にぶつけても、一言「それは考えて無かったです」と返ってきただけ。だからもう本当に本当に腹が立って。

 

阿部:大人の都合、という一言で片付けていい話ではない、と。

 

松居:とはいえ中止が決定してしまった以上、結局はスタッフもキャストも全部バラされ、2週間おさえていた劇場の空きだけが残ることになりました。

当然その劇場とは今後のお付き合いもあるので、「空きが出ないよう準備無しでできるリーディング公演か何かをやってスケジュール埋めますか」みたいな話になったんですが、それをやるともう本当に負けだなと思い……。

とにかくもう、この数年で一番怒ったというぐらいの半端じゃない怒りが、そのときの僕にはあったんです。

 

阿部:その怒りを、そのまま作品として形にしたいと思ったわけですね。

 

松居:そう。それもできるだけすぐに。だって今抱えているこの激しい怒りも、夏や秋になる頃には、たぶんもう忘れてしまっている。時間が経つと、「あのときはああいう風に思ったけど、仕方なかったのかな」と絶対になってしまう。

それ自体は自然なことだと思うのですが、今のこの怒りっていうのが自分の中から消えていくことに対してさえも、何だかすごく腹が立ってきて。それはつまり、あの子たちの覚悟や気持ちなんかも全部無くなっていくということであって、それだけは絶対に嫌だなぁと思ったんですね。

だからもう「こうなったら無理矢理にでも、“舞台が中止になった”というテーマの映画を作ってやるぞ!」と、ほとんど喧嘩の気持ちで『アイスと雨音』という作品の製作を決めたんです。

 

『アイスと雨音』公式サイト:http://ice-amaoto.com/

 

阿部:僕もその思いに強く共感したからこそ、今回プロデューサーとして作品に参加をさせていただきました。

 

松居:ほんと阿部くんをはじめ、僕に共感してこの喧嘩に手を挙げてくれた皆さんの気持ちが、とにかく嬉しかったですね。

ただ、実際に映画を撮る以上は、役者のオーディションとかもイチからやらなきゃいけないし、劇場は2週間しか空いてないし、そもそも稽古期間自体が全然ない。当然お金の問題もあるし、普通の撮影では絶対無理だという状況にあったわけです。

だから、「普通の舞台と同じように、10日間ぐらい練習したあとにワンカットで映画を撮ろう」という発想に至ったんですね。だって、そもそも舞台っていうのはワンカットでやるものなんだから、そのほうがいいじゃんと。

 

阿部:いや、さらっと言いましたが、実際聞いたとき、本当にすごい発想だなと思いました。

 

松居:舞台の映画化ってよくありますけど、基本的には映画的なアプローチで舞台を撮るわけじゃないですか。

ただ今回に関しては、表現としてそれでは違うような気がしていて。だから、もう言葉そのままの「舞台の映画化」という意味で、舞台的なアプローチでやってやろうと。それで74分のワンカットで撮ることにしたんです。

 

映画『アイスと雨音』は、2018年春に公開予定。

 

松居:もちろん、そのせいで撮影はすごく大変なことになりました。(笑)

本当に普通だったら絶対に採用しない手法だと思いますが、それでも僕の「怒り」という感情からはじまった映画だったからこそ、みんな一緒に乗ってくれた。特にカメラマンさんは、腱鞘炎になりそうなぐらい必死でやってくれました。

そういうところも全部含め、ぜひ皆さんにも見ていただきたいなと思う作品に仕上げることができましたね。

 

「このチームじゃなきゃできない」という作品を、1か月かけてみんなで生み出すからこそ舞台は価値がある

阿部:監督にとって原点である「舞台」は今も特別なものだと思うのですが、監督なりの舞台のテーマの見つけ方や、作品への落とし込み方というものがあれば教えてもらえないでしょうか。

 

松居:「映画の製作期間は長い」という話を先ほどしましたが、現場や準備に限った話で言えば、1日何シーンも撮らなきゃいけないからけっこうバーっと流れていくものなんですね。だからキャストやスタッフの全員と一緒にいる時間っていうのは案外短い。

でも舞台の場合は稽古も含めると1か月間、関わるメンバーの全員が同じ空間にいることになります。だからコミュニケーション的にはめちゃくちゃ豊かなことになるんですよ。

 

阿部:そうか、メンバー間の密度が全然違うものになるんですね。

 

松居:だからこそ舞台を作るということは、自分の表現したい作品をみんなに押し付けるのではなく、「このチームじゃなきゃできない」という作品を、1か月間かけてみんなで生み出していくことになるのではないかと思っています。

 

 

松居:そして、この「1か月間同じ釜の飯を食う」という共同生活があるからこそ、映像と舞台は全く違った表現になるのだと考えています。

映像を作るならバッと監督の自分がイメージを出し、「これをどうやるか」をみんなに促せばいいのですが、舞台を作るなら「みんなの中から自然に生まれたもの」のほうが絶対にいい。

逆に、そうでなければ舞台なんてやる意味が無い、とも思っています。監督の「自分はこういうことを表現したい」という気持ちは、高まれば高まるほどみんなのことが見えなくなってしまいますからね。

 

阿部:なるほど。つまり舞台の場合、監督のほうで大枠やテーマといったものだけ用意して、そこからみんなの意見を上手く引き出しつつ、肉付けしていくことで作品としての完成を目指すわけですね。みんなで自然に作るためのアプローチを重視するというか。

 

松居:だからこそ、僕の舞台はいつも難しいんですよね。そもそも監督が「決める」からこそ、いろんなことが簡単になるわけじゃないですか。だから映像では、僕も監督として決め続けなきゃいけない。

それは本来舞台も同じことで、監督が早く決めれば決めるほどスタッフも早く動けるし、役者も安心する。だから全部僕が決めればいいんだけど、僕は何も決めない。

 

阿部:それはつまり、「あえて決めない」を貫いてるわけですね。

 

松居:そう。それで本当に何も決めないままでいると、周りの人たちは焦り出します。そして「あれ、こいつ本当に決めないぞ!?」というのがいよいよ明らかになってくると、みんながすごい勢いでどんどん動きだしていきます。

そうなってようやく、僕のすごく好きな空間になっていくんですよ。むしろここからが、僕の本当の出番だと思っていますからね。(笑)

 

企画は本気で人を巻き込まないといけないし、巻き込まれた人が本気で面白がってくれてこそ、本当の意味で「いい企画」になる

阿部:それにしても、監督の「表現したいという気持ち」がずっと途切れずに続いていく理由というか意欲の源というのは、一体どこにあるんでしょうか。

 

松居:そうですね……。大学で初めて舞台の企画をやったとき、もう本当にそれを作っている過程というのが、自分にとってすごく楽しい体験だったんですね。なんか「ここにいるスタッフもキャストも、こいつら全員俺のこと好きなんじゃねぇか!?」と思えてきたというか。みんなやたらと俺に連絡くれるし、これっていいなあいいなあと毎日思いながらやっていたんですよ。

 

阿部:「誰かと一緒に何かを作ること」の魅力ですね。

 

松居:はい。ただもっと正直なところでいうと、舞台が終わった途端、誰からも連絡来なくなって「あれ?」って気持ちになったのが大きかったというか……。

よく考えたら当然のことなんですが、そのときは「みんな、結局は俺のこと好きじゃなかったのかな」と思ってしまい。僕、普段からけっこう1人でいることが多かったというか、何も用事ないのに誰かを飲みに誘うとかができないタイプだったので、舞台終わったら本当に寂しくなっちゃったんですよね。

 

 

松居:でも、「新しい企画やります」って言ったら、また人が集まってくれて、みんなから連絡が来て、ああすごく嬉しいと思って……。だからすごくネガティブというか後ろ向きなモチベーションかもしれないのですが、とにかく1人になりたくないっていう気持ちが、実はすごく大きいんですよね。

 

阿部:少し意外なモチベーションにも感じますが、先ほどの「同じ釜の飯を食うことで生まれる空間が好き」という話に共通しますね。

 

松居:繰り返しになりますが、僕は「総合芸術」と言われる映画や演劇で、人と関わりながら一緒にものを作るということに対してすごく幸せを感じますし、とにかくそれを続けていきたいという思いが人一倍強いんです。

昔は「自分はこの世に必要とされてないんじゃないか」という思いが常にあり、それを無理矢理もの作りによって埋めようとしていた部分がありました。でも最近では、「一緒に関わった人といい場所を作りたい」という思いをすごく強く持っています。

予算が無い中、結構無理していろんなことを一生懸命やってもらったり、ついてきてくれたりした人たちと、もっと上の線を引いてもっといいものを作りたい、という気持ちがどんどん強くなってきたんです。

 

阿部:なるほど。

 

松居:ただ、表現したいという欲求の根っこにあるのは、やはり「面白い」という気持ちではないでしょうか。それに乗せる形でみんなと何かを一緒に作りたいし、残したいし、自分がやってきた過程のようなものとかを肯定したいし……。うーん、すみません、何だかまとまらないですね。

 

阿部:いえいえ。作品を通して社会やみんなとのつながりを持ちたい、という欲求は多くの表現者の方が持っているものでしょうし、それはもしかするとハッキリと言葉で定義できるものではないからこそ、作品に表現として託されるものとなるのかもしれません。

それでは最後に、監督にとって「企画する」とはどういうことか、教えていただけないでしょうか。

 

 

松居:「人を巻き込むこと」ですね。小説を書いたり、ブログを書いたり、ツイッターやったり、表現として“1人でやれること”というのはいくらでもありますよね。でも、そういうものは普通に自分でやればいいだけの話であって、企画と呼べるものではありません。

やはり「企画する」ことの本質は、「こういう表現したいんだけど、どう?」と人に言って、そこにどんどん人が巻き込まれていくことにあるんじゃないでしょうか。

そして、その企画自体が面白いか・面白くないかということを考えるのは、実はあまり本質的なことではないと思います。だって、そこに一緒にいる人たちみんなが本気で面白がってやってくれたら、なんでも面白くなるはずじゃないですか。

だから、企画をするなら本気で人を巻き込まないといけないし、巻き込まれた人が本気で面白がってくれるのが、本当の意味での「いい企画」になるんだと思っています。

 

阿部:なるほど。本日は本当にありがとうございました!

 

 

以上、松居さんによる映画の企画のお話、いかがだったでしょうか。ポイントをまとめると以下のようになります。

 

 

今回のお話から、あなたはどんな学びや気づきが得られたでしょうか。あなた自身の日々の企画に活かし、人生を“ちょっと良い方向”へと変化させるヒントになったなら幸いです。

 

それでは、次回の企画の話もお楽しみに。

 

 

インタビュー:阿部広太郎 文:森川ヨシキ 撮影:八木伸司 企画協力:企画でメシを食っていく(運営・BUKATSUDO)

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