俳優・三ツ木清隆「“昭和”の魅力は、アナログだったこと」

2017/8/13 15:00 日刊大衆

俳優・三ツ木清隆「“昭和”の魅力は、アナログだったこと」 俳優・三ツ木清隆「“昭和”の魅力は、アナログだったこと」

 14歳のときに、特撮ドラマ『光速エスパー』でデビューしてから、気がつけば、もう50年ですよ。よく50年もやってこれたなっていうのが、一番の思いですね。

 デビューから他の仕事をやったり、アルバイトしたりとかってないんですよ。これ一本でやってこれた。そう思うと、非常に恵まれた俳優人生だったんだなと思いますね。『光速エスパー』の主演が決まったときは、最高の気分ですよ。1500人の中から抜擢されたわけですから。でも、撮影に入った途端に、もう地獄の日々(笑)。

 空飛ぶシーンなんて、今はCGとかで作れますけど、当時はそういう技術も乏しくて、徹夜で撮影ですよ。体にベルトを巻いて、ピアノ線で宙づりにされて、その状態で背筋と腹筋に力を入れて、ワンカット撮るのに、30、40分。その姿勢が耐えられなくなって、手が下りてくると、監督から怒られるわけです。

 2、3日徹夜は当たり前の時代。眠くて、いよいよ限界となると、撮影所の隅っこに戸板を置いて、そこに布団しいて寝かされるんです。2時間くらい寝ると、“撮影だ”と起こされる。当時だから許されたんでしょうね。今だったら、完全にアウトですよね(笑)。

 ただ、デビューしてからは世界が変わりましたよ。たまに学校に行くと、下駄箱にラブレターが、それこそ開けたら落ちるぐらい入っていた。若い頃は、遊びたい盛りだから、ひと通りはやってみたんですけどね。

 松方弘樹さんのようなワル親父みたいなのにも憧れたこともあったんですけど、豪儀すぎてとてもついていけなかった。松方さんは飲みに行くと、本当に“店のヘネシー、全部出して来い”って言って、一緒にいる客と全部飲んで、お店を空っぽにしちゃう。銀座だと一晩でウン百万ですよ。僕は、そんな真似できませんよ。スナックでせいぜい、ダルマのボトルを入れるくらい(笑)。

 こういうのって昭和ですよね。昭和の魅力って、アナログだったということだと思うんです。特撮モノでは、当時は主人公が空を飛んでいる映像でピアノ線が見えたりしていましたから。バックでは、雲を描いた壁紙が流れていくんですが、その中では、人が、ゼーゼー言いながら走って回しているんですよ。

 今はCGだから、完璧すぎる気がしちゃう。コンピューター上の作業は大変なんでしょうけど、汗をかいたり、ドロドロになりながら作り上げたっていう、手作り感が見えるのが、たまらないんですよね。『三ツ木清隆の昭和へタイムスリップ』という番組をやらせてもらうようになって、まだ日本に残る昭和を見つけにいくお仕事をさせて頂いているんですが、やっぱり昭和はいいですね。ロケに行くと、懐かしいものが次から次に出てきて、楽しくてしょうがないですよ(笑)。『甦る昭和のテレビヒーロー』という番組枠では、『光速エスパー』や『白獅子仮面』も放送して頂いたんです。

 あの頃を思いだすと、必死に走らされていましたね。途中、辛くて走るのをやめちゃおうかと思ったこともあったんですが、事務所にも入っていたし、自分の意志だけでは人生を動かせなかった。

 それでも、芸能という道を走り続けて、ここまでよくこられたなと思います。マラソンだったのが、段々、ジョキング、ウォーキングになってきましたけどね(笑)。最近になって気がついたんです。この世界で走り続ける、いや、歩き続けることがものすごい意義深いことなんじゃないかなと。昔は青春スターっていうのが、いっぱいいた。けど、50年も経てば、現役でやっている人はもう何人もいない。そう考えると、続けるってことが僕の使命なのかなと。

 なので、50年をひとつの通過点として、どこまで行けるか、倒れるまでやってやろうじゃないか。それが、大きな目標ですね。

三ツ木清隆 みつぎ・きよたか
1953年5月30日、千葉県生まれ。14歳の時に、『光速エスパー』のオーディションに合格し、主役に抜擢され、俳優デビュー。その後も、『白獅子仮面』で主演を務めるなど数々の映画、ドラマ、舞台に出演。17歳の時、歌手としてもデビューし、現在も、遠藤実作詞・作曲の「季節の中で」をリリースするなどコンサートも行っている。その他、旅番組でリポーターを務めるなどマルチな才能を発揮するなど、第一線で活躍。

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