タバコを吸うことは本当にリスク? 「正しい」ばかりがまかり通る世の中で

2017/3/21 11:20 AM

AM AM

 禁煙化の流れが、だんだん強くなってきましたね。
私自身はタバコを吸いません。
タバコに憧れもなく、なんとなく吸うきっかけが無かったからです。

 私は千葉の片田舎で育ったので、周囲の7割がヤンキーでした。
中学生になると周りはみんなタバコを吸い始めました。
私は当時ヤンキーを毛嫌いし、心底バカにしていたので、タバコを吸うとバカの仲間になる、と思っていました。
だからタバコに格好良さみたいなものは全く感じず、ずっと吸ってきませんでした。

 でもタバコ自体には抵抗はありません。
家では父がヘビースモーカーでしたし、祖父は葉巻も楽しんでいました。
確か祖母も吸っていた気がします。
ニオイに慣れていましたし、当時は今ほど受動喫煙の害がうるさく言われていない時代で、タバコの煙の中で育ってきました。

 不思議なことに、大人になって、私が仲良くなる人は圧倒的に喫煙者が多いのです。
女装家もマツコさん、ミッツさん、ダイアナさん、バビ江さん、皆さん吸われます。
大人になって私が色々な人に出会う場所がクラブだったり、酒場だったりなので、お酒とタバコがセットになってることが多いからかもしれません。

リスクへの不寛容

 ただ、近頃では喫煙者の皆さん、大変肩身が狭い思いをされてます。
最近気になるのは非喫煙者の人の喫煙者の人への非難がどんどん激しくなってきていることです。
それはもうヘイトに近いくらいです。
タバコ以外も有害なものは総じて駄目という流れが出来ています。
リスクのあるものをどんどん排除するという方向に社会が動いています。
それは正しいことなのかもしれませんが、果たしてそれで本当に良いのか? とも思います。

 みんながみんなそんなに健康に興味があるわけではないし、リスクを承知で生きたいように生きる人も居るわけです。
周りに迷惑がかからないようにはした方が良いとは思いますが、あらゆるリスクに対しての不寛容というのは後々自分の首を絞めることになるのではないでしょうか?

映画「キャバレー」に見るデカダンスの必要性

 人は清く正しいだけでは生きられません。
水清ければ魚棲ずという言葉がありますが、あまり清水だと住み難い世の中になるように思うのです。

 私の好きな「キャバレー」という映画があるのですが、
その中でナチスドイツが正しく健康的な価値観を全面に押し出して、正しい世界を実現させるために戦争を始めたという描写があります。
たしかナチスも禁煙に力を入れていました。

 私は現代の禁煙運動がナチス的だとは言いませんが、正しさを全面にして押し付けることにはある種のファシズムを感じてしまいます。
確かにハメを外し過ぎるバカも居ますが、マナーを守って楽しんでいる人まで叩くというのは、集団ヒステリーに思えてなりません。

 正しさばかりがまかり通る社会は生き易いか?
それは人間の生理にあっているか?
必要悪まで排除しているのではないか?
自分の悪や後ろ暗さも否定して、生き難くならないか?

 寛容は他人のためだけではないのです。
正しさを振りかざし過ぎて少し疲れたなら、歴史も含めて少し考えても良いのではないでしょうか?

Text/肉乃小路ニクヨ

次回は <生きることは忘れること 過去にこだわらない貪欲な生き方>です。
よかったことも悪かったことも記憶から抜け落ちてどんどん忘れてしまう。昔好きだったはずの人のこと、ひどい振られ方をしたあとにもずるずる付き合いつづけた人…いろんな思い出が消えていっても、今日も明日もまた感動するほどすばらしいことは起こり続ける。だから容量オーバーをしないように、忘れることもときには大切。

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