わたしのしごと 仕事を愛せない人は自分も愛せない -Story 2-【連載小説】

2016/6/25 21:00 ネタりか自由帳

by  小野美由紀

【前回のあらすじ】
通帳残高ほぼゼロ、無職、恋人なしの美園(29)は、誰でも雇うと噂の歌舞伎町にある「バー漆黒」でアルバイトすることに。そこで出会ったのは、初老のマスターとその日にバーを辞めると紹介されたブスでコミュ障の女だった。Story 1はこちら

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 あのバーにいた醜い女が、テレビ画面いっぱいに映っている……!

 

 彼女は深夜ドラマに出演していた。若手俳優7人によるサイコサスペンスで、始まってすぐに2クール目が決定した人気のドラマだ。悪役を演じる彼女はその圧倒的な見た目のインパクトと迫真の演技で、主役のアイドル女優を押しのけていた。

 大急ぎでスマホを摑み、名前を検索する。0.5秒で、彼女がドラマ初出演であること、「劇団超☆突急」という押しも押されもせぬ有名劇団所属であることを教えた。

 彼女には唯一無二の存在感があった。それでいて、他者から自分がどう見られているのかを十分に理解し、冷静にそれを乗りこなしているようにさえ見えた。舞台女優としての10年の地道なキャリアが、彼女にそうさせているのかもしれなかった。

 あの子、このドラマのために、「漆黒」のバイトを辞めたんだ……!

 カタン、と音がして、私は自分の乗ったハシゴの段が、また一段、外れた気がした。

 
 それから数日間、私は「バー漆黒」のカウンターに立ち続けた。少々風変わりなマスターと一緒に。
 彼の言う通り、仕事は簡単だった。初めは緊張したものの、一度慣れてしまえば他の職種と同じで退屈なだけだ。

 私はカウンター奥のこの場所がどうしても自分の居場所のようには感じられず、まるで片っ方の靴をどこかに置き去りにしてきたような気持ちのまま、ぼんやりと、開店から閉店まで、時が過ぎるのをひたすら待っていた。

 

 ある日の早晩のこと。

 私は一人ポツンと開店したばかりのカウンターに立っていた。

 マスターは買い出しに行くと言って店を空けていた。この時間帯にはまだ客は来ない。便宜的にオープンしているだけだ。

 

 外はどんよりとした梅雨曇りで、蓋をするように分厚い雲が新宿の上空を覆っていた。

 

 今日は誰も来なければいいのに。

 そう願うもむなしく、客の来店を告げるドアベルの音が、涼やかに店内に響いた。

 

「げっ」

 

 あの女だった。

 

 苦い顔の私を気にもせず、女は「忘れ物を取りに来たの」と言いバックヤードに入ってゆく。

 近くで見る女の顔は、やっぱり醜い。にもかかわらず、こいつは私よりも社会的に成功している人間なのだ。そう思うと、むらむらと言いようのない苛立ちが胸の中に募ってゆく。

 いつもそうだ。格下だと思っていた相手が自分よりも遥かに”先”を行っていると知った時、私の心はまるで、オセロを全部ひっくり返されたみたいに真っ黒に染まってゆく。

 他人と自分を比べる必要はない、そう頭では分かっていても、一度心に染み付いた劣等感はなかなか消えない。

 

 知らぬふりをしようかと思ったが、好奇心に負けて、私はつい女に声をかけた。

「ドラマ見たよ。……あなた、女優だったんだね」

 

――その顔で。

 

 そう、言いかけて飲み込んだ次の瞬間。

 振り向いてこちらを見た女の顔は、不敵に笑っていた。

「ありがとう。あなたは読者モデルだっけ?」

 面接の時に口走ったことを思い出し、顔がかあっと熱くなった。そんなの大昔の話だし、第一、大学生の自主制作フリーペーパーの中だけでのことだ。そんな風に聞かれると、無性に腹が立つ。

 

「……馬鹿にしてるの?」

 

「してないわよ」女は涼しげな顔で言う。「あなたがそう思っているだけでしょう」

 

 二の句の継げない私に、彼女は続けて聞く。
「仕事は慣れた?」

 

「別に……こんな簡単な仕事、慣れるも何もないでしょ」

 

「不満そうね。本当はやりたくてやってるわけじゃないのに、って顔してる」

 

 見抜かれてドキッとした。こちらに向けられた女の視線は針のように鋭い。画面の中からこちらを見ていた顔つきそのままだ。

 

「……そりゃ、そうよ。この仕事、ずっと続けるつもりで選んだわけじゃないもの。今は食べてく方法が他にないから仕方なく続けてるけど……。別に、バーで働きたかったわけじゃないし」

 

「そうね。今のあなたには、この店の魅力はわからないかもね」

 

 私のイライラは最高潮に達した。
「なんなのよ、あんた。さっきから。喧嘩売ってるの?」

 

 ちょっと人より目立つ容姿をしているからって。
 ちょっと人より才能があるからって。
 どうせその見た目のインパクトで最初に興味を引いて、プロデューサーや共演者相手にうまく立ち回っただけでしょう。
 ちょっと、運が良かっただけでしょう?
 それなのに、偉そうにして……。

 

 女は私をまっすぐに見つめて言った。
「売ってないし、馬鹿にもしていない。……そうしてるのは、あなたでしょう」

 

 吸い込んだ息が思わず止まった。

 

「あなた、ふてくされてる。本当は私、こんなところで働いているはずじゃないのに、もっとふさわしい場所があるはずなのに、って。そういう人間はね、周りも自分も見下して馬鹿にしてるのよ。……自分の仕事のこともね」

 

 なんと言い返して良いか分からない。女の言う通りだ。私はこの仕事を舐めている。こんなの私の仕事じゃない、そう思いながらも、どうすればいいのか分からずに困っている。けど、それの何が悪いのだ。つまんないものを、つまんない、って思って何が悪い。自分だってもっといい場所を求めて、この場所から“抜け出した”くせに。

 

 女は微動だにできずにいる私の反応を笑うでも哀れむでもなく、静かな口調で淡々と続ける。

 

「あなた、人から馬鹿にされたり、笑われたりした経験、ある?……ないでしょう。凡人はね、人を笑うのは好きだけど、笑われるのが嫌いなの。そうやって中途半端な立ち位置にいて、人から馬鹿にされるほど死に物狂いで挑戦して失敗することも、さして賞賛されることもなく、誰にも知られないまま死んでくんだわ」

 

  私は思わずカッとなった。お前に言われたくない、そう思った。醜い顔は人の目を惹きつけるだけ役に立つ。それだって立派な個性だ。私は何も持っていないのだ。突出した個性も、才能も、その世界でのし上がってゆきたいと思うだけの、熱意を持てる何かもない。

 

「そりゃ、あなたみたいに、才能があって、やりたいことが最初から決まっていて、成功してる人ならいいわよ。でもね、皆が皆、そんな風に生きられるわけじゃない。そうじゃない人間は、“そうじゃない場所”で生きてゆくしかないじゃない」

 

「本当に、そう思う?」

 

「え?」

 

 顔を上げた私はハッとした。

 彼女の目が、なぜだか優しげだったからだ。

 同時に言い訳を見抜かれたような気がして、恥ずかしさがこみ上げてきた。

 

「本当はそんなこと、思ってないんじゃないの?」

 

 女は私の目を見て言った。画面の中からこちらを見つめていた、あの心の底をえぐるような鋭い視線で。

 

「仕事を愛せない人は、自分も愛せないわよ……それでいいなら、別にいいけど」

 

 熱いものがこみ上げて、私は俯いた。

 

 毎日、生きている意味がわからない。

 

 朝、地下鉄に乗り、同じ道を歩き、同じイスに座って働いて、昨日と同じ適当なランチを食べ、また人に揉まれて家に帰り、適当なものを食べて、また、寝る。次の日の朝には、また同じ1日がやってきて、そのうち、意味を問う気力すらもかき消されて。

 

……自分がどうして生きてるのかわからない、その虚しさがお前にわかるのか。

 

  そう言いたい気持ちが、言葉にしない代わりに熱い涙となって溢れてきそうで、私は慌てて手に持っていたグラスを壁の棚に戻すふりをして後ろを向いた。

 

「大切なもの」

「え、」

「面接の時、聞かれたでしょ、私も入店した時にはね、答えられなかったの。諦める前に、もう少し探してみたら。意外と近くにあるかもよ、それ」

 

 女はそう言うと、じゃあ、と言って店を出て行った。一人取り残された私は、ぼうっと正面の壁にかかった絵を見ていた。ふと気づくと、バックヤードの小窓の外から、さぁさぁという微かな雨音が聞こえてきた。はっと我に帰る。あの女は傘を持っていただろうか。
 私は従業員用の置き傘を掴むと、店を飛び出した。
 傘を渡すのは口実だ。
 本当は、女ともっと話したかった。
 彼女にすがって、答えを聞き出したかったのだ。私よりもはるかに多くのことを知っているように見える、あの女に。

 

 どうして、

 なぜ、

 どうやって。

 

 あなたはその答えに――“あなたの仕事”にたどり着いたの――

 

 女の姿は見えなかった。代わりに目に入ったのは、叩きつけるような土砂降りの雨だった。白い飛沫を上げ、大波のように歌舞伎町の街を覆い尽くす。

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 通行人は皆わあきゃあ言いながら、雨を凌ぐ場所を探して目の前の通りを駆けてゆく。ホストの男の子。カラオケ店のビラ配りの女性。酔いはじめのサラリーマン。向かいの美容室の、看板を急いで片付けているアシスタント風の若者……。

 

 みんな、働いている。
 それぞれの理由を背負って。
 それぞれ、手に入れたい何かを目指して。
 あるいは、意味をまだ見つけられずに――

 

 私は……。

 

 不意に自分が、このビルの外のどこにも行けないような気がした。

 

 呆然と立ち尽くす私の横を、肩から大きなカバンを2つも3つも下げ、黒いレインフードつきパーカーを被った大柄な男が足早に通り過ぎていった。

 

 

Story3へ続く  7/22 公開 

【イラスト tent】

 

 

小野美由紀

1985年東京都生まれ。慶應大学文学部仏文学科卒業。Web・雑誌などを中心にコラムニストとして活躍している。14年12月、絵本『ひかりのりゅう』(絵本塾出版)15年2月、単著のデビュー作となる『傷口から人生。~メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった』、15年7月、『人生に疲れたらスペイン巡礼 飲み・食べ・歩く800キロの旅』(光文社新書)を出版。

Twitter:@MiUKi_None 

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